鈴木 辰次郎(すずき たつじろう、1864年3月27日元治元年2月20日[1]) - 1932年昭和7年)12月9日[2])は、明治から昭和時代初期の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

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駿河田中藩志太郡忠兵衛新田(静岡県志太郡大洲村を経て現藤枝市)出身[1][注 1]。石田武雄の弟として生まれ、先代喜三郎の養子となり1891年(明治24年)家督を相続する[3]1883年(明治16年)静岡師範学校を卒業する[2]

農業を営む傍ら[2]教育に従事する[3]。また、日露戦争に従軍した[3]。大洲村長、志太郡会議員、静岡県会議員、同参事会員、県農会副会長[2]、焼津町長、日本簇機取締役などを歴任した[3]1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙では静岡県郡部から立憲政友会所属で出馬し当選[2]。つづく第11回総選挙でも当選し、衆議院議員を2期務めた[2]。1912年(明治45年)6月5日に衆議院議員を辞職した[4]。雪外と号し俳諧も能くした[3]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『第二十八回衆議院重要問題名士演説集』185頁によると駿河国志太郡大長村生まれ。『人事興信録 第8版』ス68頁によると昭和3年時点での住所は静岡県志太郡大洲村。

出典

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  1. ^ a b 衆議院事務局 1908, 257頁.
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1962, 257頁.
  3. ^ a b c d e 人事興信所 1928, ス68頁.
  4. ^ 『官報』第8号、大正元年8月8日。
  5. ^ 人事興信所 1928, マ35頁.

参考文献

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