鈴木禎次
建築家
鈴木 禎次(すずき ていじ、明治3年7月6日(1870年8月2日) - 昭和16年(1941年)8月12日)は、日本の建築家。静岡県静岡市出身。夏目漱石の相婿(妻同士が姉妹)で、漱石の小説の中にも登場する。
鈴木禎次 | |
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生誕 |
1870年 (明治3年) 8月2日 日本 駿河国静岡 (現・静岡県静岡市) |
死没 | 1941年8月12日(71歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 帝国大学工科大学造家学科 |
職業 | 建築家 |
所属 | 三井銀行→名古屋高等工業学校→鈴木建築事務所 |
建築物 | 作品を参照 |
経歴
編集1870年(明治3年)駿河国静岡に旧旗本で大蔵官僚の鈴木利亨の長男として生まれる。1896年(明治29年)に帝国大学工科大学造家学科を卒業し、翌年、三井銀行に入り建築係に勤務する。1898年(明治31年)夏目漱石の妻である夏目鏡子(旧姓:中根)の妹(時子)と結婚し、1903年(明治36年)には文部省の命を受けイギリスとフランスに留学。1906年(明治39年)名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)の建築科教授となり、1922年(大正11年)には退官、のちに名古屋に鈴木建築事務所を開設する。1941年(昭和16年)71歳で逝去した。墓所は染井霊園。鈴木が生涯で設計した建築物は80棟に及び、うち44棟が名古屋市内に集中している[1]。このことから「名古屋をつくった建築家」とも呼ばれる。
2009年(平成21年)、光鯱会(名古屋工業大学建築学科同窓会)の創設100周年記念事業として鈴木禎次賞が創設された[2]。
作品
編集名称 | 年 | 所在地 | 状態 | 備考 |
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鶴舞公園奏楽堂・噴水塔 | 1910年(明治43年) | 名古屋市昭和区 | 愛知県||
旧中埜家住宅 | 1911年(明治24年) | 愛知県半田市 | 重要文化財 | |
(岡崎信用金庫資料館) |
旧岡崎銀行本店1916年(大正5年) | 愛知県岡崎市 | 登録有形文化財 | |
夏目漱石墓標 | 1917年(大正6年) | 豊島区 | 東京都||
旧諸戸精太郎邸洋室(諸戸氏庭園) | 1918年(大正7年) | 桑名市 | 三重県重要文化財 | |
野澤屋呉服店 (横浜松坂屋) | 1921年(大正10年) | 神奈川県横浜市中区 | 現存せず | |
鈴木禎次記念碑 | 1923年(大正12年) | 名古屋市昭和区 | 愛知県||
中埜銀行本店 | 旧1924年(大正13年) | 半田市 | 愛知県現存せず | |
(オリナス一宮) |
旧名古屋銀行一宮支店1924年(大正13年) | 一宮市 | 愛知県||
旧名古屋銀行本店 (ザ・コンダーハウス) |
1926年(昭和元年) | 名古屋市東区 | 愛知県旧三菱UFJ銀行貨幣資料館 (2002年-2009年) | |
松坂屋上野店 | 1929年(昭和4年) | 台東区 | 東京都||
揚輝荘) | 伴華楼(1929年(昭和4年) | 名古屋市千種区 | 愛知県||
旧高原ビル (国際東船場113ビル) |
1932年(昭和7年) | 徳島市 | 徳島県登録有形文化財 | |
豊田喜一郎邸 | 旧1933年(昭和8年) | 豊田市 | 愛知県移築 | |
(髙島屋東別館) |
旧松坂屋大阪店1934年(昭和9年) | 浪速区 | 大阪市重要文化財 | |
(ノリタケカンパニーリミテド事務館本館) |
旧日本陶器事務所1938年(昭和13年) | 名古屋市西区 | 愛知県
ギャラリー
編集-
鶴舞公園噴水塔
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鶴舞公園奏楽堂
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旧中埜家住宅
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岡崎信用金庫資料館
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旧名古屋銀行一宮支店
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旧名古屋銀行本店
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横浜松坂屋
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伴華楼
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旧高原ビル
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豊田喜一郎邸
親族
編集- 鈴木穆(しずか)- 実弟。朝鮮総督府度支部長官・朝鮮銀行副総裁。
- 夏目漱石 - 義兄。小説家。妻時子と漱石の妻鏡子は実の姉妹。鈴木は雑司ヶ谷霊園にある漱石の墓石の設計者である。
夏目漱石との交流
編集漱石の相婿ということもあり、漱石の英国留学時から折に触れて交流があり、そのことは漱石の日記にしばしば夫妻で登場する。[3][4]
脚注
編集参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 鈴木禎次(愛知県総合教育センター)