釣りバカ日誌4
『釣りバカ日誌4』(つりバカにっしフォー)は、1991年12月23日公開の日本映画。釣りバカ日誌シリーズ第4作。同時上映は『男はつらいよ 寅次郎の告白』。
釣りバカ日誌4 | |
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監督 | 栗山富夫 |
脚本 |
山田洋次 関根俊夫 堀本卓 |
原作 |
やまさき十三(作) 北見けんいち(画) |
製作 | 杉崎重美 |
出演者 |
西田敏行 三國連太郎 |
音楽 | 佐藤勝 |
主題歌 | 「冷たくしないで」西田敏行 |
撮影 | 安田浩助 |
編集 | 鶴田益一 |
配給 | 松竹 |
公開 | 1991年12月23日 |
上映時間 | 96分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 14億2000万円[1] |
前作 | 釣りバカ日誌3 |
次作 | 釣りバカ日誌5 |
あらすじ
編集あい変わらず、夫婦円満な釣りバカサラリーマン、ハマちゃんこと浜崎伝助とみち子の悩みのタネは子宝に恵まれないこと。だが、ついにみち子がご懐妊を果たし、大喜びの伝助。出産立ち合いの際の呼吸法を練習したり、マタニティ体操を一緒にしたり、会社をサボってでもみち子の定期健診には必ず付き添うというみち子以上の張り切りぶり。
また、釣り友達であり伝助の勤務する鈴木建設の社長・鈴木一之助ことスーさんの甥で今年大学を卒業したばかりの新入社員・宇佐美和彦は研修を終え、よりによって営業三課に配属となり、伝助の部下となった。スーさんの目下の悩みのタネは、そんな和彦の覇気の無さだった。そんなスーさんの悩みをよそに、和彦は伝助ともすっかり打ち解け、プライベートでも伝助の家に入り浸ったりするなど、みち子共々親しい仲となる。スーさんからは次期後継者として密かに期待を抱かれたり、スーさんの妹でもある和彦の母からは持ち込まれる縁談を無理矢理押し付けられるなど、和彦の不満は日に日に高まる一方で、その後も伝助の家に入り浸っているうちに出会った伝助のポン友で隣に住む釣り舟屋の八郎の妹・町子と恋に落ちてしまった。ところが八郎は2人の交際に猛反対し、町子は八郎から和彦との交際をやめるように言われ、和彦からもらったデートで行く予定だったプロレスのチケットを粉々にされてしまい、怒りに満ちた和彦は八郎の家に押しかけ大乱闘を繰り広げてしてしまう。
その後、和彦は退職届をファックスで提出。やがて町子と一緒に和歌山県由良に駆け落ち。和彦に僅かな望みをかけるスーさんは何としてでも和彦を引き止めようと、重役共々伝助に和彦を迎えに行くよう命じる。伝助はすぐに2人を発見するが、伝助自身もそのついでにいかだ釣りを楽しもうと2人を旅館に引き留め、釣り船に乗って出掛けるが、船の中には既に先回りしていたスーさんの姿もあった。やがて、伝助とスーさんは日中のいかだ釣りを楽しむ中で、和彦は会社を辞める決心は固く、あのマイペースな性格の和彦には元々会社の後継者としては向いていないという事を伝助に諭され、2人は周囲から何と言われようが結婚するという気持ちに対して本当に幸せになれるのだろうかというスーさんの和彦に対する不安は尽きない。そして夕方2人が待つ旅館へ。伝助の目的はあくまで「和彦を連れ戻す」という社命であるため、伝助が2人の部屋に入り話し合いの場を持つ。そして、待機していたスーさんは部屋に入るやいきなり和彦にビンタを振るうが、これはあくまで立場上の行為であり、2人の気持ちは理解しつつ、和彦が会社を辞めて今後果たしてうまくやっていけるのか伝助を通じて和彦に今の気持ちを伺う。そして和彦本人よりスーさんに自分の想いをはっきりと伝え、和彦は町子と婚約を結び、和彦は鈴木建設を正式に退職する。
その後、和彦と町子の結婚披露宴の最中、伝助とスーさんはみち子のお産を手伝い式場から退席。待望の子宝を授かり「鯉太郎」と命名された。後日、釣りに出掛ける伝助とスーさんであったが、八郎のたった1人の大切な妹である町子をスーさんの甥に奪われた事で八郎はスーさんに対して大むくれするが、釣り船には鯉太郎が生まれた幟が立てられお祝いムードに包まれた。
キャスト
編集- 浜崎家
- 鈴木家
- メインゲスト
- 鈴木建設
- その他
スタッフ
編集主題歌
編集ロケ地
編集受賞
編集- 第15回日本アカデミー賞にて三國連太郎が「息子 (映画)」とあわせて最優秀主演男優賞受賞
地上波放送履歴
編集回数 | テレビ局 | 番組名 | 放送日 |
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初回 | 日本テレビ | 金曜ロードショー | 1992年12月25日 |
2回目 | 1994年2月4日 | ||
3回目 | 1995年9月15日 | ||
4回目 | 1997年2月28日 | ||
5回目 | テレビ朝日 | 日曜洋画劇場 | 1999年3月28日 |
6回目 | 2007年2月18日 |
脚注
編集- ^ 1992年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ 本人の書いた退職願では「宇佐美」、辞令では「宇佐見」。当然、後者は誤植と思われるが、ビデオのジャケットなどでは「宇佐見」と書かれていた。