金鍾仁
金 鍾仁(キム・ジョンイン、朝鮮語: 김종인、1940年7月11日 - )は、大韓民国の経済学者、政治家[1]。本貫は蔚山金氏[2]。
金鍾仁 김종인 | |
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生年月日 | 1940年7月11日(84歳) |
出生地 | 朝鮮京畿道始興郡(現・ソウル特別市冠岳区) |
出身校 |
韓国外国語大学 ミュンスター大学 |
前職 |
セヌリ党国民幸福推進委員長 共に民主党非常対策委員長(党代表) 国民の力非常対策委員長(党代表) |
所属政党 |
(民主正義党→) (民主自由党→) (新韓国党→) (新千年民主党→) (開かれたウリ党→) (大統合民主新党→) (市民統合党→) (ハンナラ党→) (セヌリ党→) (新政治連合→) (新政治民主連合→) (共に民主党→) (国民の党→) (未来統合党→) (国民の力→) 改革新党 |
親族 | 金炳魯(祖父) |
在任期間 | 1989年7月19日 - 1990年3月13日 |
選挙区 |
(全国区→) 比例代表 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1981年4月11日 - 1988年5月29日 1992年5月30日 - 1994年9月10日 2004年5月30日 - 2008年5月29日 2016年5月30日 - 2017年3月8日 |
金鍾仁 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김종인 |
漢字: | 金鍾仁 |
発音: | キム・ジョンイン |
英語表記: | Kim Jong-in |
来歴
編集京畿道始興郡で生まれた。4歳で実父を亡くした後、祖父の大韓民国初代大法院長金炳魯の下で育った[3]。京畿道楊州郡でしばらく過ごした後、家族と共にソウル市に移った。韓国外国語大学校ドイツ語科卒。西ドイツミュンスター大学で経済学博士号を取得した後[2]、1973年から1988年までに西江大学校経済学科教授を務めた[4]。その後も建国大学校、韓国外国語大学校、嘉泉大学校碩座教授を務めた[2][5][6]。1977年大統領の朴正煕に国民健康保険の導入を提案しており[7]、1987年の第9回憲法改正で経済民主化の条件新設を主導した[8]。
1981年から保守・進歩両陣営の主要政党に行き来して、両方の重鎮を務めた経歴があるため、韓国史上初の比例代表のみの5選国会議員となった。
2012年の大統領選挙では朴槿恵の選挙陣営「国民幸福推進委員会」の共同選挙対策委員長を務め、朴槿恵の勝利により「キングメーカー」としての地位を確立した[9]。2016年の第20代総選挙では共に民主党の非常対策委員長を務めており、民主党を国会第一党にすることが成功した[10]。後に国民の党を経て、2020年からは国民の力非常対策委員長[11][12][13][14]。
2021年2月1日、釜山広域市を訪問。地元向けに加徳島と日本の九州をつなぐ日韓海底トンネルの建設について積極的に検討すると発言して話題となった[15]。2021年末に尹錫悦陣営の総括選対委員長を務めたが、のちに尹錫悦の意向により選挙対策委員会が一旦解散された[16][17]。
親族
編集祖父の金炳魯のほか、元国会議員の金汶枰はおばの夫[19]、元動力資源部長官の朴鳳煥は姉妹の夫、元建設部長官・青瓦台経済首席秘書官の李鎮卨、元大法官・憲法裁判所長の尹永哲、元国会議員の李宅敦は従姉妹の夫である。また、朴正煕時代の大統領秘書室長の金正濂は妻のおじ、元知識経済部長官・駐フィリピン大使の崔重卿と元調達庁長官・駐アラブ首長国連邦大使の権泰鈞は従姪の夫にそれぞれあたる[20]。
論争
編集金鍾仁は過去に民主化運動を制圧した国家保衛非常対策委員会に所属したことがあり、第20代総選挙の前に国民の党がこの問題を提起した[21][22]。金鍾仁はこれに対し、当時に付加価値税廃止の計画があり、国保委財務委員長の補佐官が付加税廃止問題に対する立場を整理してほしいと言ったため、国保委参与になったと釈明した[23]。しかし、国民の党は湖南地域で金鍾仁を集中的に批判する戦略を取った後[24]、同地域で圧勝した。『ハンギョレ21』によると、国民の党が提起した金のこの前歴が5・18民主化運動の価値を正面に毀損したものとして、湖南地域の住民は共に民主党を拒否したと見られる[25]。
2020年の第21代総選挙前、金は元北朝鮮外交官の太永浩の江南区甲選挙区での公認を「国家的な恥」と言ったため、「脱北者卑下」の論争を引き起こし、沈在哲院内代表からは「非常に不適切な発言」と批判された[26]。
エピソード
編集あだ名が多く、「大韓民国非常対策委員長」「汝矣島のフォレスト・ガンプ」「救援投手」「汝矣島のツァーリ」「大統領候補たちのメンター」などがある[3]。
2020年6月、未来統合党非常対策委員長として比例代表議員の昼食会に参加した際、次期大統領候補は料理実業家兼タレントのペク・ジョンウォンがいいと言って波紋を呼んだ。尹錫悦などの有力候補を意識して「ナマズ効果」または「忠清待望論」を狙ったものだとの分析があった[27]。
2020年8月19日、未来統合党非常対策委員長として光州広域市北区にある国立5・18民主墓地を訪れ、一部の党員が光州事件を貶す発言をしたことについて跪いて謝罪した[3]。
2023年のインタビューで、過去に朴槿恵と文在寅を手伝って大統領に当選させたことについて、結局2回とも失敗だったと断じて謝罪した。また、朴・文・尹の3人の大統領のうち、当選後に感謝の電話をかけてくれたのは尹錫悦だけだと言った。なお、盧武鉉が海洋水産部長官を務めていた2001年1月に金のもとを訪れて、大統領選での手伝いを依頼したことも話した[3]。
長年の夢は経済民主化と議院内閣制への改憲である。75年も続いてきた大統領制の成果が芳しくないと思うため、改憲により韓国の政治システムを議院内閣制へ変更することを提唱している[3]。
脚注
編集- ^ 김종인 "김용갑 주장, 내가 야당온데 대한 불만인 듯"《연합뉴스》
- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月12日閲覧。
- ^ a b c d e “김종인 “윤 대통령도 실패? 내가 또 사과해야지””. m.hankookilbo.com (2023年2月24日). 2023年9月11日閲覧。
- ^ “서강학파` 산실 서강대 경제학과 50돌”. 매일경제(2010.4.7) 2016년 3월 17일閲覧。
- ^ “김종인씨 외대 석좌교수로” (朝鮮語). 중앙일보 (2011年9月7日). 2022年7月23日閲覧。
- ^ 김경태 (2013年3月6日). “김종인 전 위원장, 가천대 석좌교수로 임용(종합)” (朝鮮語). 연합뉴스. 2022年7月23日閲覧。
- ^ "헌법 119조2항, 자본주의 지키는 안전장치" -2008년 7월 25일 신학림 미디어스 기자
- ^ 류지복. 김종인 "김용갑 주장, 내가 야당온데 대한 불만인 듯". 연합뉴스. 2016년 1월 31일.
- ^ 김종인 "107석 안 되면 떠날 것…킹메이커 안 해" -SBS뉴스 2016년 3월 16일 한정원 기자
- ^ 더불어민주당 123석으로 원내 제1당 -2016년 4월 15일 한라일보 부미현 기자
- ^ (데스크브리핑)더민주 '구원투수'로…김종인 파괴력은?. JTBC. 2016년 1월 14일.
- ^ 문재인, 김종인 더민주 선대위원장 영입《한겨레》2016년 1월 14일 김원철 기자
- ^ ‘더민주’ 합류 김종인은 누구?… ‘초대 대법원장인 가인 김병로 선생의 친손자’. 2016년 1월 14일. 동아경제
- ^ 염수정 추기경 김종인 대표와 환담 2016년 2월 28일 평화신문 김유리 기자
- ^ “韓国野党幹部が言及した韓日海底トンネル…「飛行機に乗ったほうがいい」「日本は無関心」”. 中央日報 (2021年2月8日). 2021年2月9日閲覧。
- ^ 時吉達也 (2022年1月5日). “韓国野党候補、選対を解散 内紛続き支持低迷”. 産経ニュース. 2022年7月28日閲覧。
- ^ 奥田聡 (2022年6月). “少数与党のくびきにあえぐ尹錫悦政権――保守・進歩間協治の模索(奥田 聡)”. アジア経済研究所. 2022年7月28日閲覧。
- ^ 류미나 (2024年3月4日). “개혁신당 "최악 대 차악 대결…절박함 없는 거대 양당 공천"” (朝鮮語). 연합뉴스. 2024年3月5日閲覧。
- ^ “[정경연의 풍수기행] 순창 복흥면 가인 김병로 생가, 강직한 성품처럼 기세 좋게 뻗은 용맥” (朝鮮語). 중부일보 - 경기·인천의 든든한 친구 (2019年10月9日). 2024年3月17日閲覧。
- ^ “김종인, ‘박정희 최측근’의 인척… 깐깐한 강골” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2012年10月29日). 2023年9月23日閲覧。
- ^ “국민의당, 김종인 대표에 “정복군 사령관, 사죄하라”” (朝鮮語). 미디어오늘 (2016年3月7日). 2022年7月29日閲覧。
- ^ “남궁진 “민추정신 실종, 창립정신 필요한 때” [민추협 되짚기⑪]” (朝鮮語). 시사오늘(시사ON) (2022年7月26日). 2022年7月29日閲覧。
- ^ 류지복 (2016年1月31日). “김종인 "김용갑 주장, 내가 야당온데 대한 불만인 듯"” (朝鮮語). n.news.naver.com. 2022年7月29日閲覧。
- ^ “국민의당 호남 전략, 김종인 비판” (朝鮮語). 국민일보 (2016年3月27日). 2022年7月29日閲覧。
- ^ “호남은 왜 국민의당을 선택했을까” (朝鮮語). h21.hani.co.kr (2016年5月25日). 2022年7月29日閲覧。
- ^ 한영익, 김기정 (2020年3月16日). “[단독] 통합당 선대위장 김종인 가닥…태영호 갈등 수그러들까” (朝鮮語). 중앙일보. 2023年10月8日閲覧。
- ^ 류미나 (2020年6月23日). “툭 던진 '백종원 대통령' 파장…김종인, 메기효과 노렸나” (朝鮮語). 연합뉴스. 2023年9月11日閲覧。
公職 | ||
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先代 文太俊 |
大韓民国保健福祉部長官 第24代:1989年 - 1990年 |
次代 金正秀 |
党職 | ||
先代 文在寅 |
共に民主党代表(非常対策委員長) 2016年 |
次代 秋美愛 |
先代 黄教安 朱豪英(代理) |
国民の力代表(非常対策委員長) 2020年 - 2021年 |
次代 朱豪英(代理) 金起炫(代理) 李俊錫 |