金澤健人

日本のプロ野球選手 (1979-)

金澤 健人(かなざわ たけひと、1979年1月12日 - )は、茨城県北茨城市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

金澤 健人
ソフトバンク時代
(2011年7月20日 福岡 Yahoo! JAPANドームにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県北茨城市
生年月日 (1979-01-12) 1979年1月12日(45歳)
身長
体重
187 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 2001年8月28日
最終出場 2013年9月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

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プロ入り前

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茨城県立磯原高校時代は目立った活躍はしなかったが、1997年NTT関東に入り、1998年日本選手権でリリーフとして登板し、チームも優勝して注目を浴びた。NTTグループの再編によりNTT関東の野球部がその年限りで廃部となったため、規定より1年早く[注 1]1998年のドラフト会議阪神タイガースに2位指名され入団。

阪神時代

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2002年には中継ぎを中心に50試合に登板、5勝を挙げた。

2003年も36試合で防御率2点台と安定感を誇った。日本シリーズ第2戦に登板したが、2回8失点を喫した。

2004年には史上9人目となる1イニング4奪三振を記録。

2005年に右肘を故障した。

2006年に復帰、4月9日に2年ぶりの勝利を挙げた。6月9日に結婚。

2007年の開幕前、正田樹との交換トレード北海道日本ハムファイターズへ移籍。

日本ハム時代

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2008年終盤に先発に転向するも10月2日に球団から戦力外通告を受けた。

オリックス時代

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その後の12球団合同トライアウトには参加しなかったが、オリックス・バファローズの入団テストを受けて11月15日に合格内定、12月8日に楽天を戦力外になった高波文一と共に正式に発表され、12月15日に正式に契約した。背番号は50

2010年シーズン中の4月30日、荒金久雄金子圭輔との2対1の交換トレードで福岡ソフトバンクホークスへ移籍した[1]

ソフトバンク時代

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9月18日の埼玉西武ライオンズ戦で3年ぶりの勝利を挙げた[2]。移籍当初は点差の開いた場面での登板が主だったが、徐々に信頼をつかみ、2002年に次ぐ38試合に登板。甲藤啓介森福允彦とともにリリーフの新戦力として台頭し、ホークスの7年ぶりの優勝に貢献した[3]

2011年攝津正の先発転向、甲藤の故障などから前年よりも重要な場面での登板が増え、その期待に応える好投を見せた。7月20日の西武戦では初セーブ以来約9年ぶりとなるセーブを記録した[4]。 自己最多の53試合に登板し防御率も1.66と安定した成績を残しチームの連覇に貢献し日本シリーズでは3試合に登板し3回無失点に抑えチームの日本一にも貢献した。

2012年も引き続きセットアッパーとしての役割を期待されオープン戦では好投するも、開幕直前に体調不良を訴え開幕は2軍で迎えた。それでも1軍昇格後は安定した投球を見せ、結果的に49試合に出場、防御率も昨シーズンよりは悪化したものの、それでも2点台にとどまりリリーフ陣の一角を担った。契約更改では、300万円増の4800万円で更改した。

2013年は中継ぎとして27試合に登板したものの、防御率が3点台を記録するなど、前年から調子を落とした。10月26日に球団から戦力外を通告された[5]。通告後は12球団合同トライアウトへ参加するなど現役続行への道を模索したが、11月29日に現役引退を表明し、15年間のプロ野球生活に終止符を打った。

現役引退後はソフトバンクの打撃投手に転身し[6]2019年からはスコアラーを務めている。

選手としての特徴・人物

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シュートスライダーなどを駆使し、強気に内角を攻める投球が持ち味[7]。現役時代は主に中継ぎ投手として活躍した[7]

阪神タイガース公式サイト等では「キンスケ」というニックネームで呼ばれていた。また、2003年の優勝祝賀会では、ABC武田和歌子アナウンサーに「キンちゃん」と呼ばれていた。

ホークスの勝利の方程式SBMに甲藤、森福、金澤を加え火消シックスと呼ばれることがある[8][9]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2001 阪神 12 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 66 13.0 22 1 8 0 1 6 0 1 13 10 6.92 2.31
2002 50 1 0 0 0 5 4 1 -- .556 299 68.2 68 5 22 3 8 52 5 0 33 33 4.33 1.31
2003 36 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 225 55.2 48 7 10 0 1 44 2 0 23 17 2.75 1.04
2004 23 3 0 0 0 1 1 0 -- .500 182 43.1 39 7 13 0 4 42 3 0 18 17 3.53 1.20
2006 25 0 0 0 0 3 1 0 4 .750 120 26.1 34 3 6 0 2 21 0 0 19 14 4.78 1.52
2007 日本ハム 10 2 0 0 0 1 1 0 1 .500 106 22.1 27 6 12 0 3 9 2 0 21 21 8.46 1.75
2008 4 3 0 0 0 0 1 0 0 .000 81 18.0 23 5 7 0 1 8 1 0 12 12 6.00 1.67
2009 オリックス 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 36 7.2 10 2 3 0 1 5 0 0 4 4 4.70 1.70
2010 ソフトバンク 38 0 0 0 0 1 1 0 1 .500 201 46.2 40 3 18 0 3 30 1 0 18 15 2.89 1.24
2011 53 0 0 0 0 1 1 3 16 .500 173 43.1 31 2 12 1 3 30 2 0 9 8 1.66 0.99
2012 49 0 0 0 0 1 0 0 7 1.000 184 44.1 36 2 14 2 3 28 2 0 18 12 2.44 1.13
2013 27 0 0 0 0 2 0 0 3 1.000 101 23.0 19 2 12 0 0 12 1 0 9 8 3.13 1.35
通算:12年 332 9 0 0 0 15 11 4 32 .577 1774 412.1 397 45 137 6 30 287 19 1 197 171 3.73 1.30

記録

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初記録
投手記録
打撃記録
その他の記録

背番号

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  • 20 (1999年 - 2006年)
  • 28 (2007年 - 2008年)
  • 50 (2009年 - 2010年途中)
  • 51 (2010年途中 - 2013年)
  • 106 (2014年 -2018年 )

登場曲

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脚注

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注釈

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  1. ^ 日本のプロ野球では、高校から大学を経ずに社会人野球へ進んだ者がドラフト会議で指名を受けるには、入社から3年を経過しなければならない。

出典

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  1. ^ トレードについて|福岡ソフトバンクホークス”. ソフトバンクホークス オフィシャルサイト. 2022年5月9日閲覧。
  2. ^ “松中も興奮10号「やっと仕事ができた」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年9月19日). https://web.archive.org/web/20110528060034/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/09/19/kiji/K20100919Z00002670.html 2013年5月13日閲覧。  記事中に試合後の本人コメントより。
  3. ^ 当時のパリーグのルールにより、2004年と2005年はリーグ1位でペナントレースを終えたもののプレーオフで敗退したため、優勝とは扱われていない。
  4. ^ 和田8回1失点で8勝目 通算100勝に王手! スポーツニッポン 2011年7月21日付記事。試合後の本人コメントより。
  5. ^ 来季契約についてソフトバンク球団公式サイト2013年10月26日配信
  6. ^ 新入団スタッフについてソフトバンク球団公式サイト2013年12月12日配信
  7. ^ a b トレード入団の金澤投手。「気合溢れる投球を見てほしい」|福岡ソフトバンクホークス”. ソフトバンクホークス オフィシャルサイト. 2021年11月4日閲覧。
  8. ^ ホークス、リーグ最強の勝利の方程式が好救援 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2010年9月1日付
  9. ^ さらに進化した、ホークスが誇るリリーフ6人衆 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2010年9月6日付

関連項目

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外部リンク

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