佐藤宏志
佐藤 宏志(さとう ひろし、1977年8月11日 - )は、広島県三原市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県三原市 |
生年月日 | 1977年8月11日(47歳) |
身長 体重 |
180 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト3位 |
初出場 | 2002年4月7日 |
最終出場 | 2008年3月25日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集瀬戸内高等学校から亜細亜大学に進学し同大学硬式野球部に所属。1996年、1年秋に明治神宮大会で初戦先発も敗れる。1997年、2年春の全日本大学野球選手権大会決勝の近畿大学戦では登板せず、4年生エース小池俊児が先発し、近大4年生清水章夫投手に4年井端弘和や3年赤星憲広擁する亜大打線も抑えられ準優勝。1998年、3年春の大学選手権で初戦を完投勝利。同年秋の明治神宮大会準決勝は、前年の大学選手権決勝と同じ相手、宇高伸次投手や二岡智宏らの4年生擁する近畿大を下し、決勝の東北福祉大戦では先発し優勝を果たした[2]。全日本代表選手にも選ばれた[1]。東都大学リーグでは通算50試合登板し、23勝12敗、防御率2.27、206奪三振。最高殊勲選手に1回、最優秀投手に2回、ベストナインに1回選出された。
大学在学中に巨人のキャンプにゲスト参加。当時の長嶋茂雄監督に認められた。そして、1999年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツから3位指名を受けて入団[1]。
巨人時代
編集2001年には二軍で10勝を挙げ、2002年に一軍デビューを果たす。
2003年は一軍登板がなかった。
2004年は新監督の堀内恒夫の目に留まり、自己最多の26試合に登板し一軍に定着。プロ初勝利、プロ初セーブを含む3勝1セーブを挙げた。8月1日の阪神タイガース戦でプロ初先発を務め、7回1死まで阪神打線を無失点に抑える好投で、初先発勝利を飾っている。
2005年は開幕から13試合連続無失点を記録。この好投により4月早々に退団したダン・ミセリの後任として抑え投手に指名された。しかし、抑えとして最初の登板となった5月3日の横浜ベイスターズ戦で、1点リードの9回表に先頭打者の種田仁に本塁打を打たれたのを皮切りに、相川亮二、小池正晃にも本塁打を打たれるなど1イニングで3本塁打を喫し逆転される。この試合を境に、自身の不注意による怪我などで精彩を欠き、防御率6.87でシーズンを終えた。
2006年は急性胃腸炎で出遅れるも、交流戦中にワンポイント投手として活躍。防御率2点台をキープする。しかし、オフの10月2日に戦力外通告を受けた。
楽天時代
編集2006年オフに無償トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。「ゼロからの出発」ということで背番号は0に決定。
2007年の唯一の登板は、9月19日の北海道日本ハムファイターズ田中幸雄の東京ドームでの引退試合だったが、守備陣のミスもあり田中賢介にランニングホームランを許した。
2008年も1試合の登板に終わり、10月1日に再び戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加したが、獲得球団はなかった。
引退後
編集2010年に台湾のクラブチーム「台灣中皇工程棒球隊」でプレーしたのち[要出典]、引退後は静岡県へ居住し、中古車販売業・株式会社ワールドスターエンタープライズに勤務[3]。そのかたわらで少年野球の指導にあたっており[4]、2020年6月27日には古巣の巨人とOBスカウトとしての契約を締結。静岡エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担っている[5]。
選手としての特徴
編集勢いのある直球とスライダーが持ち味の左腕投手。サイドスローに似た変則フォームが最大の特徴である。登板時はゴーグルをかけている。視力も良くないが、コンタクトを装着しているので度は入っていない。本人曰く「世界が明るく見える」とのこと。交代後ベンチに戻るとすぐにゴーグルを外すシーンがよく見られる。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2002 | 巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 5 | 1.0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.00 |
2004 | 26 | 4 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | -- | .750 | 266 | 60.2 | 64 | 17 | 20 | 0 | 2 | 48 | 2 | 0 | 44 | 40 | 5.93 | 1.38 | |
2005 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 7 | .000 | 91 | 18.1 | 29 | 4 | 7 | 0 | 0 | 17 | 0 | 0 | 14 | 14 | 6.87 | 1.96 | |
2006 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 37 | 9.1 | 7 | 0 | 2 | 0 | 1 | 10 | 1 | 0 | 3 | 3 | 2.89 | 0.96 | |
2007 | 楽天 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 7 | 1.1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 6.75 | 1.50 |
2008 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 2 | 0.1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 3.00 | |
通算:6年 | 57 | 4 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1 | 7 | .600 | 408 | 91.0 | 104 | 22 | 30 | 0 | 4 | 77 | 3 | 0 | 62 | 58 | 5.74 | 1.47 |
記録
編集- 初登板:2002年4月7日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、8回裏に2番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏にマイク・グランから見逃し三振
- 初勝利:2004年6月3日、対中日ドラゴンズ8回戦(東京ドーム)、3回表に2番手で救援登板、3回1/3を無失点
- 初先発・初先発勝利:2004年8月1日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)、6回1/3を無失点
- 初セーブ:2004年9月11日、対ヤクルトスワローズ25回戦(東京ドーム)、7回表に2番手で救援登板・完了、3回無失点
- 初ホールド:2005年4月3日、対広島東洋カープ3回戦(東京ドーム)、7回表に4番手で救援登板、1回無失点
背番号
編集- 40(2000年 - 2006年)
- 0(2007年 - 2008年)
脚注
編集- ^ a b c プロ野球人名事典 2003 (2003年、日外アソシエーツ)、255ページ
- ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球各季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社
- ^ “8/9元 ○売巨●軍・投手の佐藤宏志と申します。”. 株式会社ワールドスターエンタープライズ (2010年8月9日). 2020年9月19日閲覧。
- ^ G山口と同じ変則左腕だった…佐藤宏志氏の今 .SANSPO.COM (2015年5月12日) 2015年5月12日閲覧
- ^ “読売巨人軍OBスカウトとの契約締結について”. 読売ジャイアンツ (2020年6月27日). 2020年9月19日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 佐藤宏志 - NPB.jp 日本野球機構