金澤武
金澤 武(かなざわ たけし、1920年〈大正9年〉9月11日 - 2003年〈平成15年〉5月26日)は、日本の船舶工学者、溶接工学者、構造力学者、材料力学者、破壊力学者、材料強度学者。工学博士。東京大学名誉教授、日本造船学会名誉員[1]。
略歴
編集福井県福井市の福井中学校の博物教師・金澤祿郞の次男として出生[2][3][注 1]。1923年(大正12年)9月の父・金澤祿郞の新潟中学校への異動[5]に伴って新潟県新潟市(現 新潟市中央区)に転居。
1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京帝国大学第一工学部船舶工学科を半年繰り上げ卒業、東京帝国大学第一工学部大学院に入学[2][6][7]。
1945年(昭和20年)9月に東京帝国大学第一工学部講師に就任、1946年(昭和21年)3月に助教授に就任、1956年(昭和31年)8月に東京大学から工学博士号を取得、11月に東京大学工学部教授に就任、応用力学第三講座を担任[2][6][7]。
1981年(昭和56年)4月に東京大学を定年退官、長崎総合科学大学教授に就任、5月に東京大学名誉教授の称号を受称、1986年(昭和61年)4月に千葉工業大学教授に就任[2][6][7]。
2003年(平成15年)5月26日午後1時3分に東京都町田市の病院で急性心不全のため死去、葬儀・告別式は東京都江戸川区平井の平井聖天燈明寺で執り行われた[8]。
業績
編集鋼材の脆性破壊研究の世界的権威として活躍し、二重引張試験法の開発、クラックアレスターの研究、欠陥評価法の開発、破壊管理制御システムの開発などは、日本における破壊力学の先駆的成果として鋼構造物の破壊防止技術の確立に貢献した。また、これらの成果は、材料力学、破壊力学、構造工学、溶接工学などの技術水準の向上に大きく寄与し、鉄鋼業を中心とする重工業での信頼性、健全性、安全性を高めることに多大な貢献をした[6][7][9][10]。
世界に例のない、破壊力学に基づく合理的な規準や規格の制定を提唱し、日本工業規格、日本海事協会規則、日本溶接協会規格などの制定に指導的役割を果たした[10]。
役職
編集栄典・表彰
編集- 1952年(昭和27年) - 造船協会賞(論文賞)[10][16]
- 1952年(昭和27年)日本海事協会賞[10] -
- 1959年(昭和34年) 4月 - 溶接学会論文賞[17]
- 1964年(昭和39年) 4月 - 日本鉄鋼協会渡辺義介記念賞[18]
- 1968年(昭和43年) 6月 - 藤原賞[19]
- 1970年(昭和45年) 5月 - 日本高圧力技術協会論文賞(現 科学技術賞)[20]
- 1980年(昭和55年)10月 - 日本鉄鋼協会浅田賞[21]
- 1982年(昭和57年) 4月 - 溶接学会賞[22]
- 1982年(昭和57年)紫綬褒章[23] 4月 -
- 1982年(昭和57年)日本造船学会造船技術賞(吉識賞)[24] 5月 -
- 1985年(昭和60年)10月 - 日本鉄鋼協会山岡賞[25][26]
- 1986年(昭和61年) 3月 - 東レ科学技術賞[27]
- 1989年(平成 1年)11月 - 日本溶接協会創立40周年記念表彰[28]
- 1990年(平成 2年)11月 - 勲二等瑞宝章[29]
- 1992年(平成 4年) 5月 - 日本溶接協会功績賞[30]
- 1997年(平成 9年) 5月 - 日本高圧力技術協会功績賞[31]
- 1997年(平成[32] 9年)11月 - 日本圧力容器研究会議設立20周年記念表彰
- 1999年(平成11年)11月 - 日本溶接協会創立50周年記念特別表彰[33]
- 2003年(平成15年) 5月 - 正四位(死後追贈)[34]
親族
編集- 金澤祿郞 - 父、博物教師、元新潟中学校・福井中学校教諭、元海老ケ瀬小学校校長、元大畑小学校・新潟高等小学校・乙小学校訓導。新潟県中魚沼郡出身、高田師範学校卒業、文部省教員検定試験合格。ニックネームは「ゴリさん」[35]。
- 金澤裕 - 兄、内科医、新津医療センター病院初代院長・名誉院長、元豊栄病院院長、元新潟鉄道病院副院長。
- 金澤正 - 弟、精神・神経科医、開業医(新潟県長岡市長町の野村医院を継承)、元新潟少年保護鑑別所所長、元新潟少年学院副所長、元新潟脳病院(現 新潟信愛病院)院長、元新潟医科大学附属医学専門部教授、元体操選手[注 2]。
- 西川孝夫 - 娘婿、長女の夫、建築構造学者、東京都立大学名誉教授。
- 中山一 - 娘婿、次女の夫、消化器内科医。
著作物
編集著書
編集- 『材料力学明解』吉識雅夫[共著]、養賢堂、1959年。
- 『吉識雅夫先生還暦退官記念 船体構造強度要覧』吉識雅夫先生還暦退官記念事業会、1970年。
- 『材料力学演習 1』山田嘉昭・高橋幸伯・竹鼻三雄・小林繁夫・岡村弘之[共著]、培風館、1974年。
- 『脆性破壊 2: 破壊靭性試験』越賀房夫[共著]、木原博[監修]、培風館〈破壊力学と材料強度講座 8〉、1977年。
- 『溶接継手の強度』飯田國廣[共著]、産報出版〈溶接全書 17〉、1979年。
- 『金沢武先生論文選集』金沢武先生還暦退官記念事業実行委員会[編]、金沢武先生還暦退官記念事業実行委員会、1981年。
論文
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 表彰 - 日本造船学会
- ^ a b c d 『現代 物故者事典 2003〜2005』168頁。『事典 日本の科学者 科学技術を築いた5000人』228頁。
- ^ 『第十五版 人事興信錄 上』カ33頁。『日本造船学会誌』第581号、532頁。
- ^ 『日本經濟新聞』1972年1月8日付朝刊、20面。『私の履歴書 第四十五集』106頁。
- ^ 『青山百年史』867頁。
- ^ a b c d 『学内広報』第1267号、35頁。『日本造船学会誌』第876号。
- ^ a b c d 木原賞・金澤賞・佐々木賞 - 溶接接合工学振興会
- ^ 『新潟日報』2003年5月28日付朝刊、23面。
- ^ 『圧力技術』第41巻第4号、184頁。
- ^ a b c d 金澤武「溶接構造用鋼板の脆性破壊に関する研究」 (PDF) - 東レ科学振興会
- ^ 歴代役員一覧 (PDF) - 日本溶接協会
- ^ a b c d 『日本造船学会誌』第876号。
- ^ 歴代会長・副会長 | 溶接学会
- ^ 『圧力技術』第41巻第4号、182頁。
- ^ 沿革・事業・資産 - 溶接接合工学振興会
- ^ 論文賞|受賞者一覧|日本船舶海洋工学会
- ^ 論文賞 受賞者 | 溶接学会
- ^ 渡辺義介記念賞 受賞者 (PDF) - 日本鉄鋼協会
- ^ 藤原賞受賞者 - 藤原科学財団
- ^ 科学技術賞受賞者一覧 (PDF) - 日本高圧力技術協会
- ^ 浅田賞 受賞者 (PDF) - 日本鉄鋼協会
- ^ 溶接学会賞 | 溶接学会
- ^ 「褒賞」『官報』号外第28号、13頁、大蔵省印刷局、1982年4月30日。
- ^ 吉識賞|受賞者一覧|日本船舶海洋工学会
- ^ 山岡賞 受賞者 (PDF) - 日本鉄鋼協会
- ^ 新製造法による50キロ級高張力鋼の有効利用に関する研究 (PDF) - 日本船舶技術研究協会
- ^ 受賞者一覧 | 東レ科学技術賞 | 表彰 | 東レ科学振興会
- ^ 日本溶接協会賞等受賞者一覧 (PDF) - 日本溶接協会
- ^ 「叙位・叙勲」『官報』号外第140号、16頁、大蔵省印刷局、1990年11月5日。
- ^ 日本溶接協会賞等受賞者一覧 (PDF) - 日本溶接協会
- ^ 功績賞受賞者一覧 (PDF) - 日本高圧力技術協会
- ^ 日本圧力容器研究会議 (PDF) - 日本溶接協会
- ^ 創立50周年記念特別表彰者一覧 (PDF) - 日本溶接協会
- ^ 「叙位・叙勲」『官報』第3640号、9頁、国立印刷局、2003年7月2日。
- ^ 『青山同窓会會報』第25号、3面。『青山同窓会會報』第28号、2-3面。
- ^ 『青山百年史』305頁。『靑山百二十年史 I』305頁。『昭和十四年版 時事年鑑』585頁。『昭和十六年 運動年鑑』274頁。
参考文献
編集- 「金沢武」『現代 物故者事典 2003〜2005』168頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2006年。
- 「金沢武」『事典 日本の科学者 科学技術を築いた5000人』228-229頁、板倉聖宣[監修]、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2014年。
- 「金澤武」『第十五版 人事興信錄 上』カ33頁、人事興信所[編]、人事興信所、1948年。
- 「金澤武氏」『新潟日報』2003年5月28日付朝刊、23面、新潟日報社、2003年。
- 「追悼 金澤武名誉会長のご逝去を悼んで」『圧力技術』第41巻第4号、182-186頁、岡村弘之・町田進・矢島浩・冨田眞己・粟飯原周二[著]、日本高圧力技術協会、2003年。
- 「訃報 金澤武名誉教授 (PDF) 」『学内広報』第1267号、35頁、東京大学広報委員会[編]、東京大学総務課広報室、2003年。
- 「訃報 故名誉員 金澤武君」『日本造船学会誌』第876号、日本造船学会、2003年。
- 「「ケセラン・パサラン」」『日本造船学会誌』第581号、532-533頁、金沢武[著]、日本造船学会、1977年。
- 「金沢ゴリラ先生 (PDF) 」『青山同窓会會報』第25号、3面、福山健[著]、青山同窓会、1977年。
- 「金沢先生を偲ぶ (PDF) 」『青山同窓会會報』第28号、2-3面、小林一男[著]、青山同窓会、1979年。
- 『青山百年史』新潟県立新潟高等学校[編]、新潟高等学校創立百周年記念実行委員会、1992年。
- 『靑山百二十年史 I』新潟県立新潟高等学校[編]、新潟高等学校創立百二十周年記念事業実行委員会、2013年。
- 「私の履歴書 石田和外 ⑦」『日本經濟新聞』1972年1月8日付朝刊、20面、日本経済新聞社、1972年。
- 『私の履歴書 第四十五集』石田和外・ほか[著]、日本経済新聞社、1972年。
- 『昭和十四年版 時事年鑑』同盟通信社[編]、同盟通信社、1938年。
- 『昭和十六年 運動年鑑』朝日新聞社体力部[編]、朝日新聞社、1941年。
関連文献
編集- 「ケセランパサラン後日譚」『圧力技術』第22巻第6号、303頁、金沢武[著]、日本高圧力技術協会、1984年。
- 「HPI設立当時の思い出と今後の使命を語る」『圧力技術』第33巻第1号、4-15頁、岡村弘之・金澤武・鵜戸口英善・稲垣道夫・長谷部茂男・武子康平・筧勝行[談]、日本高圧力技術協会、1995年。
- 「第二工学部の思い出」『生産研究』第64巻第3号、395-397頁、米田博[著]、東京大学生産技術研究所、2012年。
- 「博物室思い出のアルバム」『青陵回顧録』41-43頁、金沢祿郞[著]、新潟県立新潟高等学校、1952年。
- 「青山四十一回 同期会 (PDF) 」『青山同窓会會報』第8号、4面、山田忠平[著]、青山同窓会、1969年。
外部リンク
編集- 木原賞・金澤賞・佐々木賞 - 溶接接合工学振興会
- 金澤武「溶接構造用鋼板の脆性破壊に関する研究」 - 発見と発明のデジタル博物館 - 日本学術振興会
学職 | ||
---|---|---|
先代 木原博 |
日本高圧力技術協会会長 1983年 - 1993年 |
次代 岡村弘之 |
先代 設立 |
溶接接合工学振興会理事長 1991年 - 2002年 |
次代 野本敏治 |