野村祐勝
野村 祐勝(のむら すけかつ)は、安土桃山時代の武将。黒田氏の家臣。黒田二十四騎の一人。母里友信(多兵衛)の異母弟。
野村太郎兵衛祐勝(福岡市博物館蔵) | |
時代 | 安土桃山時代 |
生誕 | 永禄3年(1560年) |
死没 | 慶長2年2月14日(1597年3月31日) |
改名 | 小辰郎/小作郎(幼名)→曽我祐勝→野村祐勝 |
別名 | 通称:太郎兵衛 |
墓所 | 福岡県飯塚市の晴雲寺 |
主君 | 黒田孝高→長政 |
氏族 | 曽我氏→野村氏 |
父母 | 父:曽我一信、母:伊東氏 |
兄弟 | 太郎兵衛、母里友信、祐勝 |
妻 |
先室:野村伊予守娘(丹波国氷上郡野村城主の一族) 後室:吉田長利娘 |
子 | 祐直 |
永禄12年(1569年)、青山・土器山の戦いで長兄・曽我太郎兵衛が討死し、次兄・友信は母里家を継ぐことになったため、曽我家の跡継ぎとなる。天正元年(1573年)の印南野合戦で初陣。天正3年(1575年)、妻の実家の野村家が滅亡したため、野村姓を継ぐこととなる。
天正12年(1584年)の雑賀衆・根来衆による岸和田での反乱では、黒田長政らと共に奮戦し、首級を挙げる。天正14年(1586年)の宇留津城攻め、天正15年(1587年)の財部城攻めでも戦功を挙げた。天正16年(1588年)の城井鎮房の暗殺の際には、長政の合図に応えて鎮房の前に歩み出た後、鎮房に三宝を投げつけた後一の太刀を浴びせた。その後、2,960石を拝領する。後、加増され子孫は代々福岡藩の重臣、中老職を世襲した。なお後裔の野村祐春の次男は黒田長貞で、秋月藩の養子となり当主となった。