重松 省三(しげまつ しょうぞう、1940年1月5日 - )は、愛媛県今治市[1]出身の元プロ野球選手外野手)・コーチ

重松 省三
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県今治市
生年月日 (1940-01-05) 1940年1月5日(84歳)
身長
体重
166 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1962年
初出場 1962年8月11日
最終出場 1975年10月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 大洋ホエールズ
    横浜大洋ホエールズ (1976 - 1979, 1987 - 1988)

経歴

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今治西高校卒業後は1958年松山商科大学へ進学し、西部地区連盟代表として、2年次の1959年から4年次の1961年にかけて全日本大学野球選手権大会3年連続出場を果たすが、いずれも初戦敗退に終わる。大学卒業後の1962年西濃運輸へ入社し、主に4・5番を打って春の選抜大会に出場。シュアな中距離打者として注目を集め、同年春の都市対抗に初出場。

大会終了後の8月に退社して大洋ホエールズへ入団し、11日国鉄戦(川崎)で初出場を果たすと、30日の国鉄戦(後楽園)で3番手登板の金田正一から初安打を記録[1]。2年目の1963年から一軍に定着し、3年目の1964年には1番・中堅手の定位置を獲得。同年は自己最多の136試合に出場して打率.296(7位)・15本塁打と共に自己最高の記録を残し、自身唯一のオールスターゲーム出場を果たしたほか、ベストナインにも選出された[1]。1964年3月21日に行われた中日との開幕戦(中日)で開幕投手河村保彦から初本塁打を放ち、翌22日には水谷寿伸から初満塁本塁打を放つ。オールスターでは7月21日の第2戦(中日)で尾崎行雄から大会第1号本塁打を放ち、全の2連勝に貢献。1966年6月5日の中日戦(札幌円山)で河村から代打本塁打、1967年10月11日のサンケイ戦(川崎)ではダブルヘッダー第1戦で佐藤進から代打サヨナラ本塁打、続く第2戦では1番として起用され、石戸四六から初回に先頭打者本塁打を放った。サヨナラ本塁打の次の試合で先頭打者本塁打を放ったのはセ・リーグ史上2人目であり、第1戦で放ったサヨナラ本塁打はプロ野球通算333号サヨナラ本塁打となった。その後もメガトン打線のチャンスメーカーとして活躍し、1968年から1970年には3年連続で2桁本塁打を記録。1970年・1971年には2年連続で規定打席に到達し、1971年4月19日阪神戦(川崎)で江夏豊から4年ぶりのサヨナラ本塁打を放ち、7月12日の阪神戦(甲子園)で通算1000試合出場を達成。1972年9月12日の中日戦(中日)で稲葉光雄から8年ぶりの満塁本塁打を放つが、1973年からは出場機会が徐々に減っていき、1975年限りで現役を引退[1]

引退後は大洋で一軍コーチ(1976年)、二軍外野守備・走塁コーチ(1977年)、二軍打撃コーチ(1978年 - 1979年, 1987年 - 1988年)、スカウト(1980年 - 1986年)を歴任[1]。スカウト時代はカルロス・ポンセの獲得に尽力し、1989年からフロント入り。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1962 大洋 25 23 21 0 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 2 0 0 0 0 .095 .174 .095 .269
1963 86 116 105 11 22 4 0 0 26 5 2 2 1 0 9 0 0 12 4 .210 .272 .248 .520
1964 136 532 504 67 149 26 1 15 222 50 8 9 4 3 18 0 3 54 9 .296 .324 .440 .764
1965 107 300 276 32 62 16 1 6 98 29 6 7 4 1 17 1 2 28 2 .225 .275 .355 .630
1966 108 384 357 48 93 17 5 14 162 32 10 5 7 0 19 0 1 36 6 .261 .300 .454 .754
1967 107 218 204 21 40 8 0 4 60 13 4 1 3 2 8 0 1 37 3 .196 .230 .294 .524
1968 121 345 323 42 90 9 4 10 137 31 9 6 9 2 9 0 2 42 3 .279 .302 .424 .727
1969 121 325 299 39 72 15 1 11 122 29 6 3 6 2 16 2 2 31 8 .241 .284 .408 .692
1970 127 473 436 53 116 15 1 11 166 34 10 9 10 3 19 2 5 42 8 .266 .304 .381 .685
1971 120 407 367 41 90 13 0 8 127 29 10 7 7 1 29 1 3 38 3 .245 .306 .346 .652
1972 119 307 274 37 66 13 3 7 106 32 2 4 7 2 22 0 2 32 8 .241 .302 .387 .689
1973 88 197 179 16 39 1 0 4 52 17 0 0 5 2 9 0 2 20 2 .218 .263 .291 .554
1974 77 104 97 14 21 3 0 3 33 9 0 0 3 1 3 1 0 13 2 .216 .240 .340 .580
1975 56 86 77 6 20 4 1 2 32 6 0 2 2 0 6 0 1 8 4 .260 .321 .416 .737
通算:14年 1398 3817 3519 427 882 144 17 95 1345 317 67 55 68 19 186 7 24 393 62 .251 .293 .382 .675

表彰

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記録

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節目の記録
  • 1000試合出場:1971年7月12日 ※史上153人目
その他の記録

背番号

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  • 65 (1962年)
  • 32 (1963年 - 1966年)
  • 6 (1967年 - 1972年)
  • 9 (1973年 - 1975年)
  • 30 (1976年)
  • 74 (1977年 - 1979年)
  • 70 (1987年 - 1988年)

脚注

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  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、264ページ

関連項目

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外部リンク

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