酒井調良
酒井 調良(さかい ちょうりょう)は、出羽庄内藩の家老酒井了明の次男。農場経営者。荘内蚕糸業組合長。
時代 | 江戸時代末期 - 大正時代 |
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生誕 | 弘化5年2月7日(1848年3月11日) |
死没 | 大正15年(1926年)10月23日 |
別名 | 右馬之助(通称) |
戒名 | 好果院殿徹誉調良居士 |
墓所 | 山形県鶴岡市家中新町の大督寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 庄内藩 |
氏族 | 酒井氏 |
父母 | 父:酒井了明 |
兄弟 | 了恒、調良、白井久井、黒崎研堂 |
子 | 駒太郎 |
人物
編集新品種「平核無(ひらたねなし)」(「庄内柿」)の栽培に成功し、庄内で初めて、リンゴの栽培と豚の飼育を始めた人物として知られている。
兄は、戊辰戦争で活躍した名将酒井了恒、弟は、漢学者の黒崎研堂である。
略歴
編集- 1848年2月7日 - 庄内藩の家老酒井了明の次男として鶴岡に生れる。
- 1864年 - 11代藩主酒井忠篤の近習となる。
- 1867年 - 祖父(血統上は伯父)酒井右京の切腹に関連して職を辞する。
- 1868年 - 戊辰戦争で新庄・秋田方面に出陣する。
- 1872年 - 松ヶ岡開墾に参加し、その後屋敷内に桑を植えて養蚕業を開始する。
- 1877年 - 馬渡山に住んで桑の栽培をさらに拡大する。
- 1878年 - 兄の子酒井了敏が死去したため家督を相続する。
- 1879年 - 屋敷内の畑で庄内で初めての林檎を栽培し、農芸手腕が認められて山形県勧業世話係に任命される。
- 1880年 - 製糸会社盛産社を設立し横浜からの生糸輸出を始める。
- 1888年 - 荘内蚕糸業組合長となる。
- 1893年 - 農場経営をはじめ、新品種たねなし柿の栽培に成功し「調良柿」とよばれたが、原煕農学博士により「平核無」と命名される。
- 1925年 - 「平核無」を、摂政官に献上する。その際に「庄内柿」の名が用いられ、以来庄内の名産品となる。
- 1926年10月23日 - 死去する。享年79。
親族一族
編集出典・参考文献
編集- 『庄内人名辞典』 編纂・出版:庄内人名辞典刊行会