酒井忠存
酒井 忠存(さかい ただあきら)は、若狭小浜藩の第6代藩主。小浜藩酒井家7代。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 享保5年10月19日(1720年11月18日)[1] |
死没 | 元文5年8月22日(1740年10月12日) |
改名 | 初三郎、助七郎(幼名)→忠存 |
戒名 | 実相院殿諦覚円成大居士 |
墓所 | 福井県小浜市男山の空印寺 |
官位 | 従五位下、備後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 若狭小浜藩主 |
氏族 | 雅楽頭酒井家 |
父母 | 父:酒井忠音、母:有馬頼元の娘 |
兄弟 | 忠通、忠竜、忠存、忠用、忠与、忠順、有馬則憑 |
子 | 養子:忠用 |
第5代藩主・酒井忠音の三男。兄の忠通と忠竜が早世していたため、享保20年(1735年)の父の急死に伴って家督を継いだが、元文5年(1740年)8月22日、嗣子の無いまま21歳で死去した。弟の忠用が跡を継いだ。