酒井忠仰
姫路藩の世嗣
酒井 忠仰(さかい ただもち)は、江戸時代中期の播磨国姫路藩の世嗣。官位は従四位下・備前守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保20年(1735年) |
死没 | 明和4年8月20日(1767年9月12日) |
官位 | 従五位下、従四位下備前守 |
藩 | 播磨姫路藩世嗣 |
氏族 | 酒井氏(雅楽頭家) |
父母 | 酒井忠恭、石原氏 |
兄弟 |
忠仰、忠得、忠宜、忠温、忠啓、忠交、 忠補、米姫、井伊直禔正室、清光院、 酒井忠節正室、本多忠奝正室、タキ、軽子 |
妻 | 松平乗祐次女・里姫 |
子 | 忠以、忠因、戸沢正良正室 |
略歴
編集上野国前橋藩主・酒井忠恭(のち姫路初代藩主)の長男(庶子)として誕生。母は側室・石原氏。
庶子だったため、ただちに嫡子となることはできなかった。寛延元年(1748年)に小姓となって3000俵の新封を受け、翌寛延2年(1749年)に叙任する。その後、嫡子だった次弟・忠得、三弟・忠宜が相次いで早世したため、宝暦11年(1761年)に嫡子となる。しかし、忠仰も家督相続を果たせず、明和4年(1767年)に早世した。代わって忠仰の長男・忠以が忠恭の嫡子となった。