酒々井 (酒々井町)
酒々井(しすい)は、千葉県印旛郡酒々井町の大字。郵便番号285-0927[2]。
酒々井 | |
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北緯35度43分39.4秒 東経140度15分56.6秒 / 北緯35.727611度 東経140.265722度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 印旛郡 |
市町村 | 酒々井町 |
標高 | 40 m |
人口 | |
• 合計 | 1,865人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
285-0927[2] |
市外局番 | 043[3] |
ナンバープレート | 千葉 |
※座標・標高は下宿青年館付近 |
地理
編集北は印旛沼新田、北東は中川、東は中央台、南東は下台、南は本佐倉、南西は上本佐倉、西は佐倉市大佐倉、本佐倉、北西は佐倉市大佐倉干拓に隣接している。
歴史
編集江戸期は酒々井村であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。村高は、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに770石余。成田街道の宿場として町場が形成され、新宿・上宿・中宿・下宿・横町の5町からなり中心は中宿であった。天正19年徳川家康によって取り立てられた町であり、この時酒々井宿繁栄のため新堀港を開いたという(印旛郡誌)。新堀港は印旛沼から利根川を通じ、江戸・銚子方面との物資の輸送の要所であった。佐倉牧は千葉・印旛・山武・香取の4郡にまたがり、野付村は210か村に及び、管理の中心は酒々井であった。中宿の牧士組頭島田家の屋敷の一部に佐倉牧の御払場と野馬会所が置かれた。享保8年酒々井村町明細帳によれば、村方田畑辻687石余、町方82石余、村方反別田56町2反余・畑22町5反余・屋敷2町3反余、町方反別畑5町2反余・屋敷9町4反余、村方家数16、町方家数130、御林は所城・桜山・いつくしまの3か所で山銭として京1貫668文を納入、なお、村高770石余のうち220石余は人馬役・宿村のため御免となっている(鶴岡家文書/酒々井町史史料集1)。神社は八坂神社(牛頭天王)・麻賀多神社・朝日神社など、寺院は真言宗勝蔵院・東光寺。江戸末期、下宿に青樹堂石井平兵衛の寺子屋があった。明治6年千葉県に所属。同10年勝蔵院境内に酒々井小学校が開校。明治初年頃まで酒々井町・酒々井村と区別して把握される場合もあったが明治19年合併して酒々井町となる(町村合併史)。明治22年に酒々井町の大字となる[4]。
年表
編集世帯数と人口
編集2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
世帯数;9856
人口数;2万660名
小・中学校の学区
編集町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 酒々井町立酒々井小学校 | 酒々井町立酒々井中学校 |
施設
編集- 酒々井町立酒々井小学校
- 中央保育園
- 酒々井町商工会館
- 下宿青年館
- 上宿青年館
- 佐倉警察署酒々井交番
- JA千葉酒々井町
- 千葉県印旛沼流域下水道酒々井ポンプ場
- 不動王勝蔵院
- 東光院
- 麻賀多神社
- 大鷲神社
- 八坂神社
- 朝日神社
交通
編集鉄道
編集バス
編集道路
編集脚注
編集- ^ a b “酒々井町の人口と世帯”. 酒々井町. 2017年11月25日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月25日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月25日閲覧。
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 428頁
- ^ “小・中学校の通学区域”. 酒々井町 (2014年3月31日). 2017年10月25日閲覧。
- ^ 路線バスのご案内 - ちばグリーンバス、2014-02-03閲覧。
- ^ a b c d ちばグリーンバス 路線図 H25.7.20現在、2014-02-03閲覧。