鄭蘋茹
鄭 蘋茹(てい ひんじょ、中国語: 鄭蘋如。1918年 - 1940年2月)は中華民国の特務・スパイ。
鄭蘋茹 | |
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プロフィール | |
出生: | 1918年(民国7年)[1] |
死去: |
1940年(民国29年)2月(満22歳没)[2] 中華民国上海市滬西区(現・徐匯区) |
出身地: | 中華民国浙江省蘭渓市 |
職業: | 特務・スパイ |
各種表記 | |
繁体字: | 鄭蘋茹 |
簡体字: | 郑苹如 |
ラテン字: | Zheng Pingru |
和名表記: | てい ひんじょ |
発音転記: | テン ピンルー |
事跡
編集1918年(民国7年)、浙江省蘭渓市に生まれた。父・鄭越原は孫文を慕って中国同盟会に参加した事があり、母は日本人だったこともあって、早くから日本に対して、親近感を抱いていた。1932年~1934年にかけて上海の明光中学(民光中学とする説もある)高等部に在籍。後に自身の運命を決定づける丁黙邨は同校の代表理事であった時期があり、このときに二人は出会っていた可能性がある。
美貌でしなやかな肢体を持っていたと言われ、上海のグラビア雑誌『良友画報』の表紙を飾った事もあった。やがて自身の容貌を活かして、抗日運動に身を投じ、その過程で近衛文隆(近衛文麿元首相の長男)と知り合った。しかし、1939年6月4日に近衛暗殺未遂事件があり、危険を察知した大日本帝国陸軍幹部は近衛を日本に送還(その後、満州へ召集令状が出された)し、二人の関係は終わった。
その後、重慶国民政府の特務機関・中央統計局から重大な命令が下る。それは、汪兆銘政権傘下の特工総部(ジェスフィールド76号)の指導者となっていた丁黙邨を暗殺せよというものであった。鄭は丁に近づき、1939年12月21日、丁の暗殺計画を実行するも失敗に終わった。そして特工総部に出頭し、そこで構成員の林之江らに捕らえられ、監禁された。
1940年2月の春節前、林らによって上海郊外の滬西区中山路に連行され、銃殺された。享年22。
没後、中央統計局の後身である中華民国法務部調査局より殉職烈士に認定され[3]、また彼女の悲劇と数々のロマンスは、多くの小説・映画のモデルとなっている。
家族
編集鄭蘋茹をモデルとした作品
編集以下に鄭蘋茹をモデルとした作品を挙げる。女スパイとしての描写もあるが、美貌とセクシーを活かしたお色気キャラとして描かれる事も多い。
小説
編集- 『色・戒』
- 張愛玲(アイリーン・チャン)の短編小説。小説集『惘然記』に収録。鄭蘋茹を取り上げた最初の作品。
- 『夢顔さんによろしく 最後の貴公子・近衛文隆の生涯』
- 『上海エイレーネー』 ISBN 978-4434187698
- 『女スパイ鄭蘋茹(テンピンルー)の死』
映画
編集テレビドラマ
編集ゲーム
編集漫画
編集- 『龍-RON-』
- 鄭蘋茹をモデルにしたピンユーというキャラが登場する。ヒロイン・田鶴ていと瓜二つの姿という設定。
脚注
編集- ^ 1914年5月15日説もある。
- ^ 春節前に死去したと伝わる。
- ^ “色,戒真有其事-鄭蘋如刺殺丁默邨”. 自由時報. (2007年9月11日) 2016年11月10日閲覧。
- ^ 鄭蘋如父親鄭越原,又名英伯
- ^ “重庆空战中的郑海澄”. 中国論文網. (2012年4月30日) 2016年11月10日閲覧。
- ^ 夢顔さんによろしくAmazon.co.jp
- ^ J-CASTニュース『上海の美人スパイめぐる"新解釈" 日中両国の平和希求する"素顔"描く』
- ^ 史実でも、父(中国人)が江蘇省高等法院第二分院主席検察官を務めており、母は日本人である。
関連項目
編集- ジェスフィールド76号(特工総部)