途中越
途中越(とちゅうごえ)は、京都市左京区大原小出石町と滋賀県大津市伊香立途中町の境に位置する峠。栃生越(とちゅうごえ)、竜華越(りゅうげごえ)または途中峠とも呼ばれる。なお、広義には峠前後の道の名称としても呼称される[1]。
概要
編集峠の名称は、延暦寺の僧侶で千日回峰行を創始した相応和尚(そうおうかしょう)がそれぞれ開山した無道寺[2](865年開山、延暦寺山内にある)と、葛川明王院(859年開山)の中ほどに位置する「龍花村」を「途中村」と命名したことから途中越と呼ばれるようになったと伝えられている[3][4]。また、龍華越または橡生越[5]とも称されたほか、朽木にあった橡生村と区別するため[6]に龍華橡生とも称された。
この峠を通る国道367号はかつての鯖街道(若狭街道)をおおむね踏襲しているが、京都から出発して最初の難所がこの峠であった。
峠から少し滋賀県側に進んだところには、途中トンネルがある。
道路状況
編集現在は片側1車線の道路となっている。峠付近は掘割となっており、周囲より一段低くコンクリートで固められた殺風景な雰囲気となっている。また、幹線道路であるためトラックなど大型車を含む多くの車両が通行する。
峠のすぐ北側には、トンネルへ向かう道と途中集落を抜ける旧道との分岐がある。旧道は道幅が狭いほか急勾配が存在するものの、トンネルがかつて有料だったためこれを迂回する車両の通行が多かった。
位置情報
編集周辺
編集峠へのアクセス
編集脚注
編集- ^ 用例は、外部リンク先を参照。
- ^ 無道寺谷とも。
- ^ 『新註 近江輿地志略 全 改訂校註』 - 宇野健一 編、弘文堂書店 刊(1976年9月) p.348
- ^ 由来については、18世紀に膳所藩士の寒川辰清によって著された『近江輿地志略』(参考:近江輿地志略 (寒川辰清自筆本)1 - 滋賀県教育委員会)では、『聖之記』からの引用として紹介している。
- ^ 宇野 p.37,p.349
- ^ 寒川は、貝原篤信によって著された『諸州巡の記』からの引用として紹介している。
- ^ 勝華寺 - 大津かんきょう宝箱(大津市)
- ^ 滋賀県 大津市伊香立途中町 勝華寺の石造美術 - 石造美術紀行(猪野六郎による私設サイト)