近衛経熙
江戸時代中期の公卿。従一位・右大臣。近衛家25代
(近衛経煕から転送)
近衛 経熈(このえ つねひろ、旧字体:近󠄁衞 經熈)は、江戸時代中期の公卿。官位は従一位・右大臣。近衛家25代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦11年2月22日(1761年3月28日) |
死没 | 寛政11年6月25日(1799年7月27日) |
改名 | 師久(初名)→経熈 |
別名 | 号:後予楽院 |
官位 | 従一位、右大臣 |
主君 | 後桜町天皇→後桃園天皇→光格天皇 |
氏族 | 近衛家 |
父母 |
父:近衛内前、母:家女房 嫡母:徳川勝子(徳川宗春の娘) |
兄弟 | 因子、維子、経熈 |
妻 |
泰宮薫子 婚約者:多鶴 |
子 |
基前、亮深、熙子、義海 養子:茂姫 |
経歴
編集太政大臣・近衛内前の子。安永4年閏12月2日(1776年1月22日)左近衛大将に就任。安永8年3月29日(1779年5月15日)内大臣となる。
安永10年1月8日(1781年1月31日)左近衛大将を辞し、同日従一位に叙される。天明7年5月26日(1787年7月11日)内大臣を辞任。
天明7年5月26日(1787年7月11日)右大臣となる。寛政3年11月28日(1791年12月23日)右大臣を辞す。
寛政11年(1799年)、薨去。
系譜
編集系譜
編集近衛家
編集近衛家は、藤原忠通の子である近衛基実を始祖とし、五摂家の一つであった。
→詳細は「近衛家」を参照
皇室との関係
編集後陽成天皇の男系七世子孫である。後陽成天皇の第四皇子で近衛家を継いだ近衛信尋の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 芳賀登ほか(監修)『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年6月25日。ISBN 4-8205-7128-1。