毛利親著

江戸時代中期の長州藩毛利家の一門。毛利重就の六男

毛利 親著(もうり ちかあき)は、江戸時代中期の長州藩毛利家の一門。

 
毛利 親著
時代 江戸時代中期
生誕 明和3年4月18日1766年5月26日)
死没 寛政12年4月29日1800年5月22日)
改名 幼名:定次郎→親著
氏族 大江姓毛利氏
父母 父:毛利重就 実母:武藤氏(留楚)
兄弟 匡満治親匡芳親著
友(山内豊雍正室)、勢代(有馬頼貴正室)、
好(藤井松平信亨正室)、
佐代(鷹司輔平室)、
澄(奥平松平忠啓正室)、
長(毛利匡邦正室後前田利謙正室、顕徳院)、
娘(内藤信旭正室)、列(井伊豊吉婚約者)、
多鶴(近衛経熙婚約者)
心月院(以久)
毛利斉元、女(毛利房良正室、のち毛利親頼継室)
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生涯

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長州藩7代藩主毛利重就の六男として生まれる。側室腹で、9代藩主毛利治親の異母弟、長府藩毛利匡芳は同母兄にあたる。の「親」の字は治親からの偏諱である。

生涯を部屋住みとして過ごし、寛政12年(1800年)に35歳で死去した。子の豊之允(斉元)は福原家の養子となった後に長州藩主となった。

参考資料

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  • 「萩市史」(萩市史編集委員会)

関連項目

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  • 井伊直弼(親著同様部屋住みの身分だった)