近衛家基

鎌倉時代後期の公卿。近衛基平の長男・嫡男。母は家女房。従一位、関白、右大臣。勅撰集『続拾遺和歌集』以下に13首入集。藤氏長者。近衛家6代

近衛 家基(このえ いえもと、旧字体近󠄁衞 家基)は、鎌倉時代後期の公卿近衛基平の長男。右大臣関白等を歴任した。号に近衛関白

 
近衛 家基
『天子摂関御影』近衛家基 (近衛関白)
時代 鎌倉時代後期
生誕 弘長元年(1261年
死没 永仁4年6月19日1296年7月20日
別名 近衛関白、高山寺、浄妙寺(号)
官位 従一位関白右大臣
主君 亀山天皇後宇多天皇伏見天皇
氏族 近衛家
父母 父:近衛基平、母:家女房
兄弟 家基位子兼教覚昭尋基鷹司兼忠
亀山天皇の皇女、鷹司兼平の娘
家平経平良覚慈勝信助、娘(近衛兼教室)
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経歴

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文永6年(1269年)、元服、正五位下に叙され、右少将となる。文永7年(1270年)右中将、従三位。文永10年(1273年)権大納言。弘安4年(1281年)従一位。正応元年(1288年)右大臣。正応2年(1289年)関白、氏長者となった。

永仁4年(1296年)6月19日、36歳で薨去。

系譜

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