赤松 一朗(あかまつ いちろう、1955年10月17日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手投手)。

赤松 一朗
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福井県坂井市
生年月日 (1955-10-17) 1955年10月17日(69歳)
身長
体重
173 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1979年 ドラフト2位
初出場 1983年4月24日
最終出場 1983年4月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

来歴・人物

編集

丸岡高校では、1973年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが三国高に敗退。地元の福井工業大学へ進学し、北陸大学野球リーグで活躍。3年秋に明治神宮大会初戦で先発したが、大宮龍男石毛宏典らが出場した駒澤大に敗れた。大学卒業後は電電北陸へ入社。エースとして1979年都市対抗に13年ぶりに出場。1回戦は新日鐵堺を延長10回の末降すが、2回戦では日本楽器武居邦生に逆転打を喫し敗退[1]。サイドハンドから、カーブ、シュート、シンカーを武器とした。

1979年ドラフト会議阪神タイガースから2位指名され入団。1983年に一軍初登板を果たすが、故障もあって同年限りで現役を引退した。

1997年、社会人野球の全播磨硬式野球団監督に就任[2]。その後、2006年より部長となる。

詳細情報

編集

年度別投手成績

編集




















































W
H
I
P
1983 阪神 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 5 1 1 0 1 0 0 1 1 0 2 2 18.00 2.00
通算:1年 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 5 1 1 0 1 0 0 1 1 0 2 2 18.00 2.00

記録

編集

背番号

編集
  • 15 (1980年 - 1982年途中) ※南海から阪神に復帰した上田次朗に背番号を譲り49に変更
  • 49 (1982年途中 - 1983年)

脚注

編集
  1. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  2. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、7ページ

関連項目

編集

外部リンク

編集