論争術(ろんそうじゅつ、: εριστική, エリスティケー: eristic)とは、古代ギリシアにおける論争・議論討論で相手を言い負かす技術のこと。今日で言うところの「ディベート」の技術に相当する。争論術[1]問答競技[2]とも訳される。

「不和・争い」「口論・論争」を意味する「エリス」(: ερις)から派生した語であり、下述するように、プラトン等の著作で言及されている。

類似・関連した概念に反論術(はんろんじゅつ、: αντιλογική, antilogikē, アンティロギケー)があり、こちらもプラトンの『国家』(第5巻 454Asqq.)、『テアイテトス』(164Csqq.)等で言及されている。

歴史

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古代ギリシアにおいては、この論争術(エリスティケー)は、弁論術(レートリケー)と共に、処世の術としてソフィスト達の教育科目の1つであった。

プラトンは、初期の対話篇『エウテュデモス』にて、この論争術(エリスティケー)を主題的に扱い、批判している。また、後期の対話篇『ソピステス』の冒頭でも、エレアからの客人に対して、論争術(エリスティケー)の使い手なのではないかと、ソクラテスに猜疑の視線を送らせており、また、同書の議論で最終的に「ソフィストの技術(ソピスティケー)」として認定・言及されるのも、この論争術(エリスティケー)である。プラトンにとっては、弁証術(ディアレクティケー)のみが唯一正当な言論(ロゴス)の技術(テクネー)であり[3]、論争術(エリスティケー)や弁論術(レートリケー)は批判の対象であった。

アリストテレスは、『オルガノン』内の『トピカ』や『詭弁論駁論』の冒頭で、推論に関して、

といった分類を提示しており、論争術は、師プラトンと同じく、「詭弁」(: σοφιστική: sophism)とほぼ同義に扱っている。

補足

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なお、同じく古代ギリシアに端を発する似たような意味の語として、「論争(術)」(: πολεμικός, ポレミコス、: polemic)がある。こちらは「戦争」を意味する「ポレモス」(: πόλεμος)が語源となっている。英語でpolemicが「論客」を意味することからも分かるように、こちらは技術よりも、相手を言い負かす姿勢や総合的能力を指すニュアンスが強い。

脚注・出典

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  1. ^ 納富信留『ソフィストとは誰か?』ちくま学芸文庫 2015年、104頁
  2. ^ 田中美知太郎「第8章 エリスティケー 問答競技」『ソフィスト』講談社学術文庫、1976年。 
  3. ^ パイドロス』266C

関連項目

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