西村昭宏
西村 昭宏(にしむら あきひろ、1958年8月8日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
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名前 | ||||||
カタカナ | ニシムラ アキヒロ | |||||
ラテン文字 | NISHIMURA Akihiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1958年8月8日(66歳) | |||||
出身地 | 大阪府 | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
ユース | ||||||
1974-1976 | 北陽高校 | |||||
1977-1980 | 大阪体育大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1981-1991 | ヤンマーディーゼル | 148 | (3) | |||
通算 | 148 | (3) | ||||
代表歴2 | ||||||
1980-1988 | 日本 | 49 | (2) | |||
監督歴 | ||||||
1999-2001 | 日本 U-20 | |||||
2001-2003 | セレッソ大阪 | |||||
2004 | 京都パープルサンガ | |||||
2014-2015 | アイゴッソ高知 | |||||
2016 | 高知ユナイテッドSC | |||||
2020-2021 | 高知ユナイテッドSC | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 2. 2014年1月12日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集現役時代はヤンマーディーゼルサッカー部の守備的ミッドフィルダー、ディフェンダーとして活躍し、日本代表としても国際Aマッチ出場49試合を誇る。1986 FIFAワールドカップ・アジア予選では1次予選のシンガポール戦で代表初ゴールを含む2ゴールを挙げるなど[1]、守備面で代表の最終予選進出に貢献した。
1991年に現役を引退。ガンバ大阪でコーチやユース監督を歴任した後、1999年から2001年にかけてユース日本代表の監督を務め、AFCユース選手権2000で準優勝。2001 FIFAワールドユース選手権に出場した。その後セレッソ大阪に移り、同年11月にはJ2への降格が決まった責任を取って辞任したジョアン・カルロスの後を受けて同チームの監督に就任した。
当初はシーズン終了までの代理監督の予定だったが、監督就任後はJリーグのリーグ戦で3連勝、天皇杯でも準優勝とそれまでの不振が嘘のような好成績を挙げたため、急遽翌年以降も続投が決定。2002年にはJ2でリーグ2位となり1年でJ1への復帰を果たした。しかし2003年に入り、J1・1stステージは5位に入るものの2ndステージに入り連敗が続いたことから、同年10月に監督を解任された。
2004年より京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)の監督に就任するが、J2のリーグ戦で開幕から低迷したために同年6月に監督を解任された。同年12月にC大阪に復帰し、チーム統括部ゼネラルマネージャーに就任。しかし2006年にC大阪はJ2降格、翌2007年もJ2でのスタートに失敗したため、同年5月に都並敏史監督とともにGM職を解任された。
以後はJFA技術委員を務める一方で、2009年には2012年のロンドンオリンピック出場を目指すU-20日本代表の暫定監督に就任し、同年12月の東アジア競技大会、2010年5月のトゥーロン国際大会などに出場する代表の指揮を執った。
2010年1月に小野剛が辞任したため、育成担当技術委員長を代行[2]。
2010年9月のJFA理事会でJFA特任理事に就任[3]。そして正式に育成担当技術委員長に就任[4]。
2013年1月末に任期満了で育成担当技術委員長を退任[5]。
2014年よりアイゴッソ高知の監督に就任。2016年より高知ユナイテッドSCの初代監督に就任したが、同年12月で退任[6] しスーパーバイザーに就任。翌2018年からゼネラルマネージャーに就任。
2020年1月9日、退任した大谷武文の後任としてトップチーム監督に復帰。GM職との兼任となる[7]。大谷の退任についてはJFL昇格に伴う予算の増額で監督報酬を抑制する必要に迫られたためと報じられている[8]。2022年からは監督を退任し、GM職に専念する[9]。
所属クラブ
編集個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1981 | ヤンマー | 16 | JSL1部 | 18 | 0 | ||||||
1982 | 14 | 1 | |||||||||
1983 | 12 | 0 | |||||||||
1984 | 4 | 17 | 0 | ||||||||
1985 | 21 | 1 | |||||||||
1986-87 | 21 | 0 | |||||||||
1987-88 | 5 | 0 | |||||||||
1988-89 | 10 | 0 | 2 | 0 | |||||||
1989-90 | 15 | 1 | 0 | 0 | |||||||
1990-91 | 15 | 0 | 2 | 0 | |||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 148 | 3 | |||||||
総通算 | 148 | 3 |
・JSL東西対抗戦(オールスターサッカー) 4回出場:1981年、1984年、1986年、1987年
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 4試合0得点
代表歴
編集出場大会など
編集試合数
編集- 国際Aマッチ 49試合 2得点(1980-1988)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1980 | 1 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 |
1981 | 13 | 0 | 16 | 0 | 29 | 0 |
1982 | 2 | 0 | 8 | 1 | 10 | 1 |
1983 | 10 | 0 | 15 | 0 | 25 | 0 |
1984 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
1985 | 8 | 2 | 6 | 0 | 14 | 2 |
1986 | 5 | 0 | 5 | 0 | 10 | 0 |
1987 | 8 | 0 | 12 | 0 | 20 | 0 |
1988 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
通算 | 49 | 2 | 65 | 1 | 114 | 3 |
出場
編集No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1980年06月18日 | 広州 | 香港 | ○2-0 | 渡辺正 | 広州国際サッカー大会 | |
2. | 1981年02月08日 | クアンタン | マレーシア | ●0-1 | 川淵三郎 | 国際親善試合 | |
3. | 1981年02月10日 | クアラルンプール | マレーシア | △1-1 | 国際親善試合 | ||
4. | 1981年02月17日 | シンガポール | シンガポール | ○1-0 | 国際親善試合 | ||
5. | 1981年02月19日 | シンガポール | シンガポール | △0-0 | 国際親善試合 | ||
6. | 1981年02月24日 | インドネシア | インドネシア | ●0-2 | 国際親善試合 | ||
7. | 1981年03月08日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●0-1 | 日韓定期戦 | |
8. | 1981年06月02日 | 埼玉県 | さいたま市大宮公園サッカー場 | 中華人民共和国 | △0-0 | 森孝慈 | ジャパンカップ |
9. | 1981年06月19日 | 大邱 | マレーシア | ○2-0 | 韓国大統領杯 | ||
10. | 1981年06月21日 | 釜山 | 韓国 | ●0-2 | 韓国大統領杯 | ||
11. | 1981年08月30日 | クアラルンプール | マレーシア | ○2-0 | ムルデカ大会 | ||
12. | 1981年09月03日 | クアラルンプール | インド | ○3-2 | ムルデカ大会 | ||
13. | 1981年09月08日 | クアラルンプール | アラブ首長国連邦 | ○3-2 | ムルデカ大会 | ||
14. | 1981年09月18日 | クアラルンプール | イラク | ●0-2 | ムルデカ大会 | ||
15. | 1982年06月02日 | 広島県 | 広島県総合グランドメインスタジアム | シンガポール | ○2-0 | ジャパンカップ | |
16. | 1982年07月15日 | スチャバ | ルーマニア | ●0-4 | 国際親善試合 | ||
17. | 1983年02月12日 | ダマスカス | シリア | △2-2 | 国際親善試合 | ||
18. | 1983年02月25日 | ドーハ | カタール | ●0-1 | 国際親善試合 | ||
19. | 1983年03月06日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | △1-1 | 日韓定期戦 | |
20. | 1983年06月07日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | シリア | ○1-0 | ジャパンカップ | |
21. | 1983年09月04日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | フィリピン | ○7-0 | オリンピック予選 | |
22. | 1983年09月07日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | フィリピン | ○10-1 | オリンピック予選 | |
23. | 1983年09月15日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | チャイニーズタイペイ | ○2-0 | オリンピック予選 | |
24. | 1983年09月20日 | 台北 | チャイニーズタイペイ | △1-1 | オリンピック予選 | ||
25. | 1983年09月25日 | オークランド | ニュージーランド | ●1-3 | オリンピック予選 | ||
26. | 1983年10月07日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ニュージーランド | ●0-1 | オリンピック予選 | |
27. | 1984年09月30日 | ソウル | 韓国 | ○2-1 | 日韓定期戦 | ||
28. | 1985年02月23日 | シンガポール | シンガポール | ○3-1 | ワールドカップ予選 | ||
29. | 1985年03月21日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 北朝鮮 | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |
30. | 1985年04月30日 | 平壌 | 北朝鮮 | △0-0 | ワールドカップ予選 | ||
31. | 1985年05月18日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | シンガポール | ○5-0 | ワールドカップ予選 | |
32. | 1985年05月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ウルグアイ | ●1-4 | キリンカップ | |
33. | 1985年08月11日 | 愛知県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | 香港 | ○3-0 | ワールドカップ予選 | |
34. | 1985年09月22日 | 香港 | 香港 | ○2-1 | ワールドカップ予選 | ||
35. | 1985年10月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●1-2 | ワールドカップ予選 | |
36. | 1986年07月25日 | クアラルンプール | シリア | ○2-1 | 石井義信 | ムルデカ大会 | |
37. | 1986年08月01日 | クアラルンプール | マレーシア | ●1-2(延長) | ムルデカ大会 | ||
38. | 1986年09月22日 | 大田 | イラン | ●0-2 | アジア大会 | ||
39. | 1986年09月24日 | 大田 | クウェート | ●0-2 | アジア大会 | ||
40. | 1986年09月28日 | 大田 | バングラデシュ | ○4-0 | アジア大会 | ||
41. | 1987年05月27日 | 広島県 | 広島県総合グランドメインスタジアム | セネガル | △2-2 | キリンカップ | |
42. | 1987年06月14日 | シンガポール | シンガポール | ○1-0 | オリンピック予選 | ||
43. | 1987年06月26日 | インドネシア | インドネシア | ○2-1 | オリンピック予選 | ||
44. | 1987年09月02日 | バンコク | タイ | △0-0 | オリンピック予選 | ||
45. | 1987年09月18日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ネパール | ○9-0 | オリンピック予選 | |
46. | 1987年09月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | タイ | ○1-0 | オリンピック予選 | |
47. | 1987年10月04日 | 広州 | 中華人民共和国 | ○1-0 | オリンピック予選 | ||
48. | 1987年10月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 中華人民共和国 | ●0-2 | オリンピック予選 | |
49. | 1988年01月30日 | アブダビ | アラブ首長国連邦 | ●0-2 | 横山謙三 | 国際親善試合 |
得点数
編集# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
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1 | 1985年5月18日 | 日本、東京 | シンガポール | 5-0 | 勝利 | 1986 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
2 |
指導歴
編集- 1991年8月 - 1994年 松下電器/ガンバ大阪:コーチ
- 1995年 - 1996年 ガンバ大阪:強化部長
- 1997年 - 1998年 ガンバ大阪ユース:監督
- 1998年 日本クラブユース選手権優勝
- 1998年 高円宮杯全日本ユース選手権準優勝
- 1999年4月 - 2001年6月 U-18/U-19/U-20日本代表:監督
- 2000年 AFCユース選手権2000準優勝
- 2001年 2001 FIFAワールドユース選手権出場
- 2001年9月 - 11月 セレッソ大阪:ヘッドコーチ
- 2001年12月 - 2003年10月 セレッソ大阪:監督
- 2004年1月 - 6月 京都パープルサンガ:監督
- 2004年12月 - 2007年5月 セレッソ大阪:チーム統括部ゼネラルマネージャー
- 2014年 - 2015年 アイゴッソ高知:監督
- 2016年 高知ユナイテッドSC:監督
- 2017年 高知ユナイテッドSC:スーパーバイザー
- 2018年 - 2019年 高知ユナイテッドSC:ゼネラルマネージャー
- 2020年 - 2021年 高知ユナイテッドSC:ゼネラルマネージャー兼監督
- 2022年 - 高知ユナイテッドSC:ゼネラルマネージャー
監督成績
編集年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
2001 | C大阪 | J1 | 16位 | 3 | 3 | 0 | 0 | - | 準優勝 | |
2002 | J2 | 2位 | 87 | 44 | 25 | 12 | 7 | - | 4回戦 | |
2003 | J1 | - | 30 | 24 | 9 | 3 | 12 | 予選リーグ | - | |
2004 | 京都 | J2 | - | 22 | 17 | 5 | 7 | 5 | - | - |
2014 | I高知 | 四国 | 2位 | 34 | 14 | 11 | 2 | 1 | - | 県予選 |
2015 | 3位 | 30 | 14 | 9 | 3 | 2 | - | 県予選 | ||
2016 | 高知U | 2位 | 37 | 14 | 12 | 1 | 1 | - | 1回戦 | |
総通算 | - | - | 130 | 74 | 28 | 28 | - | - |
- 2001年は12月より(順位は最終順位)。
- 2003年は10月まで。
- 2004年は6月まで。
脚注
編集- ^ “1986年ワールドカップアジア1次予選 日本 vsシンガポール”. samuraiblue. 10 March 2021閲覧。
- ^ 平成21年度 第9回理事会 協議事項 - 日本サッカー協会・2010年1月14日
- ^ 平成22年度 第5回理事会 協議事項 - 日本サッカー協会・2010年9月9日
- ^ 平成22年度 第5回理事会 関連資料No.3 - 日本サッカー協会・2010年9月9日
- ^ 技術委員長に山口隆文氏が就任
- ^ 西村昭宏監督退任および大谷武文新監督就任のお知らせ
- ^ “西村昭宏氏 GM兼トップチーム監督就任のお知らせ”. 高知ユナイテッドSC (2020年1月9日). 2020年1月9日閲覧。
- ^ “高知U大谷監督退任 JFL昇格で資金繰り厳しく 苦渋の放出”. 高知新聞 (2020年1月9日). 2020年1月9日閲覧。
- ^ “新監督就任のお知らせ”. 高知ユナイテッドSC (2022年1月5日). 2022年1月5日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 西村昭宏 - National-Football-Teams.com
- 西村昭宏 - Soccerway.com
- 西村昭宏 - FootballDatabase.eu
- 西村昭宏 - WorldFootball.net
- 西村昭宏 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 西村昭宏 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 西村昭宏 - FIFA主催大会成績
- 西村昭宏 - J.League Data Siteによる監督データ
- コーチのにしむら株式会社