西川幸男
西川 幸男(にしかわ ゆきお、1925年7月15日 - 2012年12月26日)は、日本の芸能プロモーター、新栄プロダクション創業者、馬主。千葉県出身。
にしかわ ゆきお 西川 幸男 | |
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『婦人生活』第20巻第3号(1966年)掲載写真より | |
生誕 |
1925年7月15日 日本 千葉県 |
死没 | 2012年12月26日(87歳没) |
職業 | |
肩書き |
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配偶者 | 五月みどり(元妻、1971年離婚) |
子供 |
元妻は歌手の五月みどり(1965年結婚・1971年離婚)、子は歌手・新栄プロダクション社長の山田太郎(本名:西川賢)、プロゴルファーの西川哲(哲の元妻は女優・タレントの菊池桃子)。
人物
編集初めは浪曲師志望で、木村友衛に師事したが[1]、興行師に転身し、1945年に20歳で浪曲の興行会社「西川興行社」を創業。1949年に村田英雄を自社に迎えて育て上げた。また、若手浪曲家(木村力衛、玉川次郎、春日井小梅鴬、中村冨士夫、大木伸夫)なども育て上げた。
1958年に西川興行社を発展改組して「新栄プロダクション」を設立した後、北島三郎・新川二朗・五月みどり・二宮ゆき子・十勝花子・大月みやこ・木村友衛・小松みどり・藤圭子・西川峰子・細川たかし・西尾夕紀らのマネジメントも行った[2]。1985年、社長職を息子の山田太郎(賢)に譲り、自らは会長に就任した[3]。
また西川は馬主としても知られ、ウエスタンダッシュ(1974年京成杯、1975年日刊スポーツ賞金杯などJRA25戦5勝)などを所有し、北西牧場(ウエスタンファーム)を創業して競走馬生産なども手掛けるオーナーブリーダーとしても競馬界で活動した[4]。
2012年12月26日午前5時2分、間質性肺炎のため87歳で死去[2]。没後にこれまでの功績を讃えられ、2013年度第55回日本レコード大賞特別功労賞が贈られた。
脚注
編集- ^ “新栄の歴史 新栄物語 第一話”. 新栄プロダクション. 2014年4月14日閲覧。
- ^ a b “村田英雄さん育ての親 西川幸男氏死去”. nikkansports.com. (2012年12月27日). オリジナルの2014年4月14日時点におけるアーカイブ。 2014年4月14日閲覧。
- ^ “新栄の歴史 新栄物語 第一話 page2”. 新栄プロダクション. 2014年4月14日閲覧。
- ^ “新栄プロ西川会長が死去…歌手数多く育てる(1/2ページ)”. SANSPO.COM. (2012年12月27日). オリジナルの2012年12月31日時点におけるアーカイブ。 2014年4月14日閲覧。