蠣崎舜広
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 天文8年(1539年) |
死没 | 永禄4年(1561年) |
改名 | 彦太郎(幼名)、舜広 |
別名 | 通称:宮内 |
氏族 | 蠣崎氏 |
父母 | 父:蠣崎季広、母:伝妙院(河野季通娘) |
兄弟 |
南条広継正室、舜広、明石元広、 松前慶広、吉広、守広、下国師季正室、 小平季遠室、安東茂季室、ほか |
生涯
編集天文8年(1539年)、蝦夷地の戦国大名・蠣崎季広の嫡男として誕生。幼名は彦太郎。のちに元服し、蠣崎宮内舜広[1]と名乗る。父からは将来を嘱望され後継者に指名されていたが、永禄4年(1561年)に南条広継の正室となっていた姉に毒殺されたという。享年23。
系譜
編集- 父:蠣崎季広(1507-1595)
- 母:伝妙院 - 河野季通の娘
- 兄弟姉妹
- 長女:南条広継正室
- 長男:蠣崎舜広(1539-1561)
- 次男:明石元広(?-1562) - 明石季衡の養子
- 三男:松前慶広(1548-1616)
- 四男:蠣崎随良 - 法源寺住持
- 五男:蠣崎正広 - 正広系蠣崎家初代
- 六男:蠣崎長広 - 定広、長広系蠣崎家初代
- 七男:蠣崎定広 - 信広、但馬守
- 八男:蠣崎包広 - 与三郎、典三郎、早世
- 九男:蠣崎吉広(?-1645) - 吉広系蠣崎家初代
- 十男:蠣崎仲広 - 助五郎
- 十一男:蠣崎守広(1564-1635) - 忠広、広勝、守広系蠣崎家初代
- 十二男:蠣崎員広 - 景広、主水助、員広系蠣崎家初代
- 十三男:蠣崎貞広 - 右衛門大夫、兄:正広の養子
- 女子:下国師季正室
- 女子:喜庭季信室
- 四女:小平季遠室
- 女子:厚谷季貞室
- 女子:安東茂季正室
- 女子:村上忠儀室
- 女子:神浦季綱室
- 女子:下国重季室
- 女子:下国直季室
- 女子:佐藤季連室
- 女子:村上直儀室
- 十三女:新井田広貞室