藤田 栄介(ふじた えいすけ、1881年明治14年〉4月 – 1940年昭和15年〉3月10日[1])は、日本外交官。駐ルーマニア公使

藤田栄介

経歴

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鹿児島県出身。中学造士館を経て、1904年7月第七高等学校造士館 (旧制)卒業(第一部法科志望、第1回卒業生)[2]1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した[3]1910年(明治43年)より領事官補として安東牛荘に勤務した[3]。その後、三等書記官、二等書記官、台湾総督府事務官総領事台湾総督府事務官外務書記官・情報部第一課長を歴任した[3]1925年大正14年)より済南総領事、青島総領事を務めた[3]

1930年(昭和5年)、駐ルーマニア公使に任命され、駐ユーゴスラビア公使も兼任した[4]

脚注

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  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ、2012年。
  2. ^ 七高史研究会『七高造士館で学んだ人々 改訂版』(2001年)
  3. ^ a b c d 大衆人事録 1930.
  4. ^ 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十二年版』日本官界情報社、1936年。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。