藤岡武雄 (陸軍軍人)
日本の陸軍軍人
藤岡 武雄(ふじおか たけお、1891年(明治24年)3月3日 - 1945年(昭和20年)6月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
藤岡 武雄 | |
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生誕 |
1891年3月3日 日本 東京府 |
死没 |
1945年6月22日(54歳没) 日本 沖縄県摩文仁 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集東京府出身。1909年(明治42年)、陸軍士官学校に入校し1911年(明治44年)5月、同校(23期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉任官。
1938年(昭和13年)3月、歩兵大佐に昇進。同年7月、歩兵第7連隊長に就任し支那事変に出征。武漢作戦に参加。1941年(昭和16年)3月、金沢連隊区司令官に異動。同年8月、陸軍少将に進級し太平洋戦争を迎えた。
1942年(昭和17年)3月、台湾軍兵務部長に転じた。1944年(昭和19年)2月、北支那方面軍隷下の独立混成第9旅団長に発令され、河北省冀東の警備に当った。1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進み第62師団長に親補され沖縄に赴任。沖縄戦に参加し、嘉数の戦いなど激しい戦闘を続けたが、同年6月、撤退した摩文仁において自決した。
参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。