藤原 長川(ふじわら の ながかわ)は、奈良時代後期の貴族。名は長河とも表記される。藤原南家参議藤原巨勢麻呂の子。官位正五位下相模守

 
藤原 長川
時代 奈良時代後期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 長河
官位 正五位下相模守
主君 光仁天皇
氏族 藤原南家
父母 父:藤原巨勢麻呂、母:丹墀氏の娘
兄弟 黒麻呂長川、弓主、真作今河河主、川合、真書、伊勢人貞嗣、瀧麿、主後、広河
不詳
乙継
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経歴

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光仁朝宝亀8年(777年従五位下叙爵し、中衛少将に任ぜられる。宝亀10年(779年衛門佐に遷るが、翌宝亀11年(780年相模守として地方官に転じた。

後に正五位下に至る。

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 『尊卑分脈』

出典

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