藤原良門

平安時代前期の官人。藤原北家良門流(勧修寺流)の祖。藤原冬嗣の六男。正六位上・内舎人。

藤原 良門(ふじわら の よしかど)は、平安時代前期の官人藤原北家左大臣藤原冬嗣の六男。官位正六位上内舎人

 
藤原 良門
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 不明
官位 正六位上内舎人
氏族 藤原北家冬嗣流
父母 父:藤原冬嗣
母:安倍雄笠の娘
兄弟 長良良房良方良輔良相良門良仁良世順子古子
飛鳥部名村の娘
高田春子(高田沙弥麿の娘)
利基高藤利世
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経歴

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正六位上・大舎人に叙任するが、利基高藤の2子を儲けた直後に没したとされ、兄弟中唯一五位に昇る事がなかった[注釈 1]。そのため、事績はほとんど伝わっていない。『今昔物語集』巻12には高藤については、「父ノ内舎人年若クシテ墓无ク失給ヒケリ」と記されている。

子孫

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息子高藤は娘の胤子醍醐天皇の生母となったことから、内大臣に至り、早い時期で貴族社会において一定の地位を確立している。降って院政期に入ると、良門から8代後の藤原為房の一家が権勢を得て栄え、結果的に良門流は藤原北家を代表する一族の一つとなった。この系統を中心に、良門流からは歴史上著名な人物が多数輩出されている。

利基の子孫

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高藤の子孫

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その他

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系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ 尊卑分脈』。同書では良門の位階について「従四位上」(1巻44)と「正六位上」(2巻27)の2種の記載があるが、『公卿補任』(寛平6年条・藤原高藤項)・『扶桑略記』(昌泰3年1月3日条)、そして上記の『今昔物語集』の全てが良門の身分を内舎人としていること、内舎人の位階として従四位は高すぎることから、正六位上が正しい位階であったと考えられている[1]

出典

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  1. ^ 栗原 2008, pp. 148-149・159.

参考文献

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  • 栗原弘「藤原冬嗣家族について」『阪南論集 人文・自然科学編』第27巻第4号、1992年。 /所収:栗原弘『平安前期の家族と親族』校倉書房、2008年。ISBN 978-4-7517-3940-2