藤原 定文(ふじわら の さだふみ)は、平安時代前期の貴族。藤原北家良門流、内大臣・藤原高藤の子。官位は従四位下・右馬頭。醍醐天皇の外舅。
異母兄弟の定国・定方とは違い自身は公卿には昇れず、右馬頭を務め位階は従四位下であった。延喜7年(907年)10月17日卒去。
翌延喜8年(908年)10月に周忌が行われ、六位蔵人・藤原伊衡が諷誦した[1]。