蔡 款(さい かん、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の政治家。字は文徳[1]、または文至[2]。徐州彭城郡の人。子は蔡条・蔡機。
年若い頃には不遇な境遇であったが、すぐれた人物鑑識を持つ張承に見いだされ、南陽郡の謝景とともに抜擢された。
蔡款は朝廷や地方での官を歴任し、清廉にして行動に節操があることで当時の世にその名が高かった。のちに衛尉に昇ったが、その官のまま中書令の職務にあたり、留侯に封ぜられたという[3]。