菅生王
経歴
編集天平宝字2年(758年)淳仁天皇の即位に伴って、無位から従五位下に叙爵。大監物・少納言を歴任したのち、天平宝字7年(763年)阿波守に任ぜられて地方官に転じる。
称徳朝に入ると、天平神護2年(766年)従五位上に叙せられる。翌神護景雲元年(767年)少納言に任ぜられ京官に復帰すると、光仁朝にかけてこれを勤め、宝亀3年(772年)2月に中務大輔を兼ねる。しかし、同年10月に小家内親王との姦通罪により、菅生王は除名(官位剥奪)、小家内親王は皇籍を剥奪される(この小家内親王とは、三原王の皇女である小宅女王のことではないか、という説もある)。
翌宝亀4年(773年)に早くも本位の従五位上に復すと、大蔵大輔・中務大輔を歴任し、宝亀9年(778年)には正五位下・大膳大夫に叙任されている。
官歴
編集『続日本紀』による。
参考文献
編集- 宇治谷孟『続日本紀 (下)』講談社学術文庫、1995年
参照
編集- 阿波の民話-音読シリーズ徳島新聞 2012年12月7日[リンク切れ]