菅家喜六
菅家 喜六(かんけ きろく、1894年7月23日[1] - 1967年7月24日[2][3])は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(4期)。
来歴
編集福島県出身[3][4]。1912年福島県教員養成所(のち福島大学教育学部、現・人間発達文化学類)卒[1][4][3]。福島民報記者[1]、郡山町議[1]、(のち郡山市議[1][4][3])、郡山市会副議長[1][4][3]、福島県議[1][4][3]、福島民友新聞社長[1][2]、郡山商工会議所副会頭[1][2]となり、1949年の第24回衆議院議員総選挙において福島2区から民主自由党公認で立候補し初当選し[3]、4期務める[3]。第4次吉田内閣の厚生政務次官[2][3]、衆議院議院運営委員長[2][3]、決算委員長[4][3]を歴任した。1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選、政界を引退した。1967年、勲二等瑞宝章受章[1]。この他会津興発(株)[2][3]、三喜産業(株)[1]各社長などを歴任した。
脚注
編集参考文献
編集議会 | ||
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先代 福永健司 |
衆議院議院運営委員長 1953年 - 1955年 |
次代 中村梅吉 |
先代 本間俊一 |
衆議院地方行政委員長 1950年 - 1951年 |
次代 中垣國男 |