草津宿本陣
滋賀県草津市に現存する本陣
草津宿本陣(くさつじゅくほんじん)は、滋賀県草津市にある草津宿の本陣である。当主は代々田中七左衛門を名乗り、「田中七左衛門本陣」と呼ばれた。草津宿にもう1軒置かれた本陣も田中家(田中九蔵家)であり、2軒を区別するため、木材商を営んでいた七左衛門本陣は「木屋本陣」とも呼ばれた。敷地や建物の大半が現存している中でも最大級であり、国の史跡に指定されている[2][3]。
草津宿本陣 | |
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所在地 | 滋賀県草津市草津[要曖昧さ回避]1 |
位置 | 北緯35度1分4.0秒 東経135度57分37.0秒 / 北緯35.017778度 東経135.960278度座標: 北緯35度1分4.0秒 東経135度57分37.0秒 / 北緯35.017778度 東経135.960278度 |
敷地面積 | 約4719(1427坪)平方メートル[1] |
延床面積 | 約1547(468坪)平方メートル |
文化財 | 国指定史跡 |
歴史
編集- 1635年(寛永12年)6月 田中七左衛門家が本陣職を拝命。
- 1699年(元禄12年)7月 浅野内匠頭と吉良上野介が9日違いで宿泊。[4]
- 1718年(享保3年)4月 草津宿大火、七左衛門本陣も類焼する。
- 1839年(天保10年)4月 佐土原藩藩主・島津忠徹が滞在中に死去。[5]
- 1861年(文久元年)10月 皇女和宮が14代将軍・徳川家茂へ降嫁する途上に立ち寄る。
- 1868年(明治元年)9月 明治天皇が昼食時に立ち寄る。
- 1870年(明治3年)10月 本陣の名目が廃止される。
- 1947年(昭和22年)7月 地域の公民館として利用される。
- 1949年(昭和24年)7月 江戸時代の旧態をよく留めているとし、「草津宿本陣」として国史跡に指定される。
- 1989年(平成元年)11月~1996年(平成8年)3月 保存整備工事を実施。
- 1996年(平成8年)4月 「草津宿本陣」として一般公開開始。
- 2014年 隣接する資料展示施設「楽座館」が開館。
- 2019年 教育委員会の資料調査により、1万4千点の歴史資料が確認される。[6]
エピソード
編集- 赤穂事件と草津宿本陣
- 赤穂浪士の吉良邸討ち入りの3年前、殿中にて刃傷事件が起きる前年の元禄12年(1699年)7月4日に浅野内匠頭一行21人が、7月13日には吉良上野介一行7人が宿泊している。
- 高家であった吉良上野介はたびたび京都・伊勢などに出向いており、田中七左衛門本陣を利用した記録も数回見られる。最後の宿泊となったのは元禄14年(1701年)2月、京都から江戸へ戻る途上のことであった。[7]
アクセス
編集公共交通機関
編集自動車
編集脚注
編集- ^ 草津市教育委員会『史跡草津宿本陣保存管理計画報告書』1985年、1頁。
- ^ 『0から学ぶ草津の歴史宿場町』草津市立草津宿街道交流館、2019年、40頁。
- ^ 『国指定史跡 草津宿本陣』史跡草津宿本陣、2010年、4頁。
- ^ “所蔵品紹介”. 教育委員会事務局 史跡草津宿本陣. 2019年12月8日閲覧。
- ^ “大名の死 秘した使命感 草津宿本陣(時の回廊)”. 日本経済新聞. 2019年12月9日閲覧。
- ^ “現存最大級の本陣から大量の史料 宿場町の様相把握に期待大きく”. 京都新聞社. 2019年12月9日閲覧。
- ^ 『くさつこぼればな史』草津市教育委員会、2002年、26頁。
- ^ “大名の死 秘した使命感 草津宿本陣(時の回廊)”. 日本経済新聞. 2019年12月9日閲覧。
- ^ “所蔵品紹介”. 教育委員会事務局 史跡草津宿本陣. 2019年12月8日閲覧。
- ^ “新選組のきせる入れ発見=草津宿本陣に忘れ物-滋賀”. 時事通信社. 2019年12月9日閲覧。
- ^ 『0から学ぶ草津の歴史宿場町』草津市立草津宿街道交流館、2019年、88頁。
関連項目
編集外部リンク
編集- 史跡草津宿本陣 - 草津市
- 国指定史跡 草津宿本陣 - 草津市観光物産協会
- 草津宿本陣 - 滋賀・びわ湖観光情報