若杉光夫

日本の映画監督・演出家(1922−2008)

若杉 光夫(わかすぎ みつお、1922年10月28日 - 2008年12月18日)は、日本映画監督演出家

わかすぎ みつお
若杉 光夫
若杉 光夫
ガラスの中の少女』(1960年)の撮影現場。左から浜田光夫、監督の若杉光夫、吉永小百合
生年月日 (1922-10-28) 1922年10月28日
没年月日 (2008-12-18) 2008年12月18日(86歳没)
出生地 日本の旗 日本 大分県別府市
職業 映画監督演出家
配偶者 南風洋子
著名な家族 若杉民(娘)
主な作品
ガラスの中の少女
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経歴

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京都大学法学部卒業後、1947年大映京都撮影所に入所。黒澤明らの助監督を務めるが、1950年レッド・パージで退社。1951年島耕二の助監督を経験し、劇団民藝演出部に入団。女優の南風洋子と結婚。民藝所属の女優である若杉民(わかすぎ たみ)は娘。

1960年、有馬頼義の小説を原作とする映画『ガラスの中の少女』を監督。同作品で吉永小百合浜田光夫は初共演した。

九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めていた[1]2008年12月18日、呼吸不全により神奈川県相模原市の病院で死去。

映画作品

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助監督作品

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公開年 作品名 制作(配給) 監督
1949年 天狗飛脚 大映京都 丸根賛太郎
飛騨の暴れん坊 大映京都 丸根賛太郎
1950年 羅生門 大映京都 黒澤明

監督作品

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公開年 作品名 制作(配給)
1952年 すゞらんの鐘 新教映
母のない子と子のない母と 民藝
1953年 君に捧げし命なりせば 新映プロ
1954年 唐人お吉 京映プロ現代俳協
美しい人 ダヴィッド・プロ
富士プロ
和蘭囃子 日米プロ
1955年 石合戦 劇団民芸富士映画
1956年 夜あけ朝あけ 民藝
1957年 神秘美人 The Lady of Mystery ショウ・ブラザーズ
1958年 異國情鴛 Love with an Alien ショウ・ブラザーズ
その女を逃すな 日活
姿なき顔役 日活
1959年 脅迫の影 日活
危険な女 日活
チビデカ物語 教育映画配給社/民芸映画社
1960年 十代の狼 日活
ガラスの中の少女 日活
1961年 小父さんありがとう 民芸映画
警察日記 ブタ箱は満員 日活
大人と子供のあいの子だい 日活
真昼の誘拐 日活
1962年 何もかも狂ってやがる 日活
1963年 サムライの子 日活
川っ風野郎たち 日活
1965年 七人の刑事 終着駅の女 日活
1966年 太陽が大好き 日活
1972年 娘たちは風にむかって 民芸映画
1976年 風立ちぬ 東宝
1984年 誕生 東映
1987年 星の牧場 フィルム・クレッセント

その他関係作品

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製作
公開年 作品名 制作(配給) 監督
1987年 星の牧場 フィルム・クレッセント 若杉光夫
脚本
公開年 作品名 制作(配給) 監督
1952年 すゞらんの鐘 新教映 若杉光夫
1953年 君に捧げし命なりせば 新映プロ 若杉光夫
1954年 唐人お吉 京映プロ/現代俳協 若杉光夫
富士プロ 若杉光夫
和蘭囃子 日米プロ 若杉光夫
1957年 哀愁の園 日活 吉村廉
女子寮祭 日活 斎藤武市
1974年 伊豆の踊子 東宝 西河克己
1976年 風立ちぬ 東宝 若杉光夫
1987年 星の牧場 フィルム・クレッセント 若杉光夫
その他
公開年 作品名 担当 制作(配給) 監督
1949年 飛騨の暴れん坊 予告篇監督 大映京都 丸根賛太郎
1961年 青い芽の素顔 原作 日活 堀池清

脚注

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出典

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