花渕山
花渕山(はなぶちやま)は宮城県大崎市鳴子温泉にある標高984.6mの山[1]。栗駒国定公園内に位置する。
花渕山 | |
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花渕山と鳴子峡大深沢橋 | |
標高 | 984.6 m |
所在地 |
日本 宮城県大崎市 |
位置 | 北緯38度45分29秒 東経140度40分45秒 / 北緯38.75806度 東経140.67917度座標: 北緯38度45分29秒 東経140度40分45秒 / 北緯38.75806度 東経140.67917度 |
山系 | 奥羽山脈 |
花渕山の位置 | |
プロジェクト 山 |
概要
編集鳴子温泉街の北西に位置し、市街の至近にありながらブナの原生林に覆われる[2]。ブナのほか、クロベが広く分布する[3]。
鬼首カルデラの南端を構成し、西に大柴山、小柴山など平均高度1,000mの平頂峰が連なる。この山地は花崗閃緑岩を基盤とし緑色凝灰岩層が発達する[4]。基盤岩は断層により切断されており、地塊山地と解される[5]。
「花渕(はなぶち)」は淵に突き出した地のこと[注釈 1]。また、荒雄川を挟み対岸に半俵山(はんたらやま, 602m)があり、「ハッタラ hattar[注釈 2]」はアイヌ語で「淵」を表す。「淵[注釈 3]」を間に東に半俵山、西に花渕山が相対し、アイヌ語と日本語の対訳がされる様である[6]。
人間との関わりの歴史
編集雄沼の雨乞い伝説
編集山頂付近にある雄沼には「沼に雌の三毛猫を投げ込むと雨が降る」言い伝えがある。干ばつになると、雄沼には鳴子だけでなく、近隣の岩出山や中新田からも沼に投げ入れるものを携えて登ったと伝わる[7]。沼畔には、川渡近郊の住民らが建立した祠がある。
本山銅山
編集江戸〜昭和を通じて銅などを産出し、東麓にあった鉱山は本山銅山[8][9]と呼ばれた。水戸藩士小宮山楓軒が『浴陸奥温泉記』に「花渕山ノ本山ニ銅山アリ、今盛ンナリ。遊女モ坂田ヨリ来タリ居ル」と記している[10]。細倉鉱山と並び、仙台藩三鉱山に数えられた[11]。
緑色凝灰岩及び基盤となる花崗閃緑岩中に鉱脈があり、自然銅、輝銅鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、赤銅鉱、石英などを産出した[4]。
近世
編集仙台藩が安永年間にまとめた『風土記御用書出』には、鳴子村分に嶽山として「花淵山」の表記がある[12]。絵図によっては「花渕山」「大深沢山」とも表記される[13]。
山中には月山権現が祀られていた[12][注釈 4]。1913年(大正2年)発行の5万分の1地形図には神社を示す鳥居の地図記号が見られる。
近代・現代
編集戦前より鳴子温泉街から一望できる紅葉の名所として知られた[15]。
戦後、鳴子温泉のリゾート開発が進む中、南斜面に開設した「花渕山スキー場」は、冬季国体や全日本選手権やA級の滑降大会が開催される名スキー場だった。三浦雄一郎や、高松宮も訪れている[16]。
登山
編集花渕山登山口
編集(花渕山登山口→鳴子の壁→レストハウス跡地→花渕山山頂 距離3.6km, 標高差821m)
旧鳴子スキー場のゲレンデ跡を通過する登山道。登山口から鳴子の壁までは細いトラバースが連続する。鳴子の壁からレストハウス跡地まではブナの二次林が広がる。レストハウス跡地からの展望がよく、晴れた日には月山や牡鹿半島、仙台市街が望める。レストハウス跡地からはブナの原生林が広がり、多数の巨木が見られる。山頂付近は冬季の厳しい風雪により矮化したブナ林に覆われる。
小向登山口
編集(小向登山口→花渕山・小柴山分岐→花渕山山頂 距離5.1km, 標高差822m)
鬼首荒雄川神社の先にある登山口。分岐までの急峻な尾根の登山道にはクロベとブナの巨木が並び立つ。分岐から花渕山山頂までの尾根道は、主に冬季の厳しい風雪により矮化したブナ林に覆われる。シロヤシオの純林があり、5月下旬から6月上旬にかけて花のトンネルが楽しめる。
近隣の山
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 宮城県七ヶ浜町には「海に突き出した地」の名称として「鼻淵(はなぶち)」があり、鼻節神社、花渕浜、花淵灯台などがある。
- ^ ハッタラ(hattar)の地名は上川郡(十勝)、根室郡、留萌郡等にみられる。発足など。
- ^ 鳴子ダム完成以前は深い渓谷となっていた。
- ^ 別当は羽黒派修験末派の大瀧山行蔵院。大口村大西に座した。
出典
編集- ^ 『日本山岳志』博文館、明39.2、495頁 。
- ^ 『鳴子の自然はすばらしい』鳴子町、平成6。
- ^ 『日本産針葉樹の分類と分布』農林出版、1960年、174頁 。
- ^ a b 『宮城県鉱物誌』宮城県商工労働部中小企業課、1972年 。
- ^ 小元久仁夫「宮城県鳴子盆地の地形発達史」『地理学評論』第39巻第8号、1966年、521-537頁、doi:10.4157/grj.39.521。
- ^ 『東北と北海道のアイヌ語地名考 : 山河を愛する人々に捧ぐ』楡書房、1957年、77頁 。
- ^ 『法曹 (6)(188)』法曹会、1966年6月、11-13頁 。
- ^ 『帝國地名辭典 下卷』三省堂書店、1912年6月、1566頁 。
- ^ 『細倉鉱山史』三菱金属鉱業細倉鉱業所、1964年、19-25頁 。
- ^ “浴陸奥温泉記”. dl.ndl.go.jp. 2022年12月21日閲覧。
- ^ 『昔から今にいたる宮城県に関する名数』東北大学川内東分校図書館、1958年、7頁 。
- ^ a b 『宮城県史 第25 (資料篇 第3)』宮城県史刊行会、1954年、231-236頁 。
- ^ 鴇田勝彦「「鳴子村風土記御用書出」の絵図化 : 古文書からの歴史景観復元」『東北アジア研究センター報告』第10巻、東北大学東北アジア研究センター、2013年10月31日、110-132頁、hdl:10097/57154、CRID 1050001202732686592。
- ^ 『温泉 45(5)(505)』日本温泉協会、1977年5月、13頁 。
- ^ 『全名勝温泉案内』大修堂、昭11、566-569頁 。
- ^ 『スキー武者修行』山と渓谷社、1963年、39-42頁 。
- ^ 『経営コンサルタント (482)』経営政策研究所、1988年12月、68-70頁 。
- ^ 『近代韓国における温泉観光地の発達過程に関する史的研究 参考編』東京工業大学、1996年、38頁 。
- ^ “国立・国定公園及び県立自然公園”. 宮城県. 2023年1月8日閲覧。
- ^ “第49回大会の概要 - 国民体育大会 - Jspo”. JSPO(公益財団法人日本スポーツ協会). 2022年12月23日閲覧。