芦田町
日本の広島県芦品郡にあった町
この記事に雑多な内容を羅列した節があります。 |
芦田町(あしだちょう)はかつて広島県芦品郡に存在した町である。1974年4月1日に福山市に編入されて消滅した。
あしだちょう 芦田町 | |
---|---|
旧芦田町役場。芦品郡芦田町時代に使用された。福山市へ合併された後は、福山市芦田支所として使用された。昭和35年定礎。当時は右側に議事堂があった。 | |
廃止日 | 1974年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 芦田町 → 福山市 |
現在の自治体 | 福山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 広島県 |
郡 | 芦品郡 |
市町村コード | 34522-9 |
面積 | 27.48 km2 |
総人口 |
7,104人 (1974年3月31日) |
隣接自治体 | 尾道市、福山市、府中市、駅家町、新市町、御調郡御調町 |
芦田町役場 | |
所在地 | 広島県芦品郡芦田町 |
座標 | 北緯34度31分30秒 東経133度16分36秒 / 北緯34.52492度 東経133.27678度座標: 北緯34度31分30秒 東経133度16分36秒 / 北緯34.52492度 東経133.27678度 |
ウィキプロジェクト |
町名の由来
編集沿革
編集地理
編集河川
編集- 芦田川
- 有地川(芦田川支流)
- 五入道川
- 堀田川
山
編集- 大谷山(標高401.3m)
名所・旧跡・観光地
編集産業
編集大字(2010年4月1日当時のデータ)
編集- 上有地(かみあるじ)
- 下有地(しもあるじ)
- 柞磨(たるま)
- 福田(ふくだ)
- 向陽台(こうようだい)
交通(1974年3月31日当時のデータ)
編集鉄道
編集バス
編集中国バスによる福山駅と新市駅への定期便があったが、2020年9月30日をもって、廃止路線となった。
道路
編集国道
編集通過していない。
主要地方道
編集一般県道
編集- 広島県道157号松永新市線
- 広島県道158号府中松永線 - 現:広島県道48号府中松永線(1976年 - )
- 広島県道396号柞磨駅家線
- 広島県道397号福田戸手線
教育(2010年1月1日現在のデータ)
編集小学校
編集- 福山市立有磨小学校
- 福山市立福相小学校
中学校
編集- 福山市立芦田中学校
著名な出身者
編集備考
編集- 福山市は1972年に周辺の7町(芦品郡のうちの芦田・駅家・新市各町、沼隈郡内海・沼隈両町、深安郡加茂・神辺両町)に対して合併の申し入れを行っているが、その7町の中で最初に合併に至ったのがこの芦田町である。当時の芦田町議会では、府中市との合併を主張する意見もあったが、当時の町長であった河村実が将来性を考えて、福山市との合併を選択した。河村実はその後福山市議会議員にもなり、芦品広域農道(現在の広島県道396号柞磨駅家線)の開通に尽力した。
- 1974年3月1日付中国新聞朝刊によると芦田町福田のうちの芦田川左岸部分(上河原地区)を芦品郡新市町に割譲するという記事が掲載されていたが、何らかの事情により行われずじまいになっている。新市町が福山市に編入されたのはそれから29年後のことである。
- 当時の町役場および町議会会場は、芦田中学校近くの有地川傍にあったが、福山市との合併後に芦田支所に格下げされ、その後施設の老朽化のために福山市立動物園近くのキャンプ場跡地を造成し、移転した。
- 有地(ありち)という苗字は、芦田町の上有地・下有地(かみあるじ/しもあるじ)地区の「有地」という地名に由来する。品治郡(現在の福山市新市)の亀寿山城を本拠に備後屈指の勢力を誇った国人領主宮元信の弟である宮清元が、芦品郡有地村(福山市芦田町上・下有地)に土着し、有地石見守清元という「有地氏」を称した。これが日本発の有地姓である。有地石見守清元は、大谷城を築き、その後国竹城に移った。3代目である有地民部少輔元盛は、天正初年(1570年代)相方城を築いた。中世後期、現在の芦田町一帯を本拠とした国人領主となったが、1591年頃、その勢力を恐れた毛利氏によって出雲国に移された。そのため現在の芦田町には有地(ありち)姓は必ずしも多くなく、むしろ一番多いのは河村姓となっている[1][2][3][4]。→「有地隆信」も参照