良岑 恒則(よしみね の つねのり、生没年不詳)は、平安時代初めごろの貴族。別名・椋橋恒則良岑玄理の嫡子で、良岑美並の父である。

 
良岑恒則
時代 平安時代
生誕 貞観5年(863年)?
死没 延喜18年(918年)1月29日?
別名 椋橋恒則、椋橋太郎
官位 正六位下
氏族 良岑氏
父母 父:良岑玄理
母:尾張氏
良岑美並
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人物

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恒則は、尾張国丹羽郡郡司・良岑玄理の子に生まれる[1]恒則の子孫である良岑高成上総守)は、良岑氏前野氏の始祖・前野高長の父である。高成の娘で高長の妹にあたる人物は平忠盛側室となり、平忠度を生んだとされている[1]。良岑氏は桓武天皇百済永継の子である良岑安世を祖とする氏族[1] で、種別としては皇別に分類される。本貫は山城国で、後裔には児玉丹羽氏や良岑氏流前野氏などがある。この恒則は良岑安世の曾孫にあたる[1]

系譜

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良岑氏系図

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脚注

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  1. ^ a b c d 尊卑分脈及び良岑氏系図