能勢 和子(のせ かずこ、1939年(昭和14年)8月30日 - )は、日本政治家自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。亀井静香の派閥である志帥会に所属した[1]

能勢 和子
のせ かずこ
生年月日 (1939-08-30) 1939年8月30日(85歳)
出生地 日本の旗 日本 高知県越知町
出身校 高知赤十字高等看護学院
前職 看護師
所属政党 自由民主党

選挙区 比例中国ブロック
当選回数 2回
在任期間 1996年10月21日 - 2000年6月2日
2003年11月11日 - 2005年8月8日
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経歴

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高知県高岡郡越知町生まれ[2]1961年(昭和36年)3月、高知赤十字高等看護学院[注 1]卒業し、同年4月高知赤十字病院勤務[4]。同年6月、看護婦国家試験に合格[4]国立呉病院勤務、呉市医師会看護専門学校教員、医療法人緑風会長尾病院教育婦長、社団法人広島県看護協会常務理事を経て、1993年(平成5年)9月から1996年(平成8年)9月まで、医療法人更生会草津病院看護部長[4]

1996年(平成8年)10月の第41回衆議院議員総選挙比例中国ブロックで自民党単独1位候補として立候補し初当選。

2000年(平成12年)6月の第42回衆議院議員総選挙では比例中国ブロックで自民党5位候補となるが[注 2]、比例中国ブロックでは自民党が4議席しか確保できなかったため落選。同年9月、自由民主党広島県衆議院比例区第二支部長[4]。2001年(平成13年)6月、日本看護連盟広島県支部顧問[4]

2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙で比例中国ブロックで自民党4位候補となり[注 3]、2度目の当選。

2004年(平成16年)9月 環境大臣政務官に就任。2005年郵政国会において、7月5日の衆議院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じた。そのため政務官辞任の辞表を書き、当時の環境大臣小池百合子に辞表を提出するも床に叩きつけられ、「親分を間違えたわね!」と言われ受け取ってもらえなかった。このため政務官を罷免される。同年8月12日、第44回衆議院議員総選挙に立候補しないことを表明した[1]

2017年(平成29年)4月、旭日小綬章を受章した[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 1973年4月をもって休止[3]
  2. ^ 1位は宮沢喜一。2位は林義郎。3位は平林鴻三。4位は谷川和穂[5]
  3. ^ 1位は亀井久興。2位は河井克行。3位は加藤勝信[6]

出典

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関連項目

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公職
先代
砂田圭佑
  環境大臣政務官
2004年 -2005年
次代
竹下亘