肥後静雄
肥後 静雄(ひご しずお、1858年3月17日(安政5年2月3日)[1] - 1924年(大正13年)8月23日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
編集鹿児島県出身[2]。薩摩藩藩校造士館に学ぶ[2]。囎唹郡東志布志村(のち志布志町→志布志市)長、鹿児島県会議員となる[2]。
1912年の第11回衆議院議員総選挙において鹿児島県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務め、1915年の第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1924年に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。