耳なし芳一
『耳なし芳一[1][2]』/『耳無し芳一[3]』/『耳無芳一[4]』(みみなし ほういち)は、古代の日本を舞台とした怪談であり、また、その物語の主人公である琵琶法師・芳一の、作中における事件後の(つまり、耳を無くした後の)通名でもある。
安徳天皇と平家一門(伊勢平氏一門)を祀った、長門国豊浦郡の赤間関を擁する紅石山(べにしやま)[5]の麓にあった阿弥陀寺[6](あみだじ|現在の山口県下関市に所在する赤間神宮の前身)の領内を舞台とし、架空の若き琵琶法師・芳一を主人公とする。
概要
編集小泉八雲の『怪談』(1904年〈明治37年〉刊行)に所収の「耳無芳一の話(みみなしほういち の はなし)[4]」で広く知られるようになった[1][2]。
森銑三らによれば、小泉八雲が典拠としたのは、江戸時代後期の天明2年(1782年)に刊行された一夕散人(いっせきさんじん)の怪談奇談集読本『臥遊奇談(がゆう きだん)』(全5巻5冊)の第2巻「琵琶秘曲泣幽霊(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」であった[7][8][1][9]。
『臥遊奇談』でも琵琶師の名は「芳一」であり、背景舞台は長門国豊浦郡の赤間関、阿弥陀寺とある。これは、幕藩体制下の長門府中藩領赤間関と阿弥陀寺(安徳天皇御影堂を中核とする)にあたり、明治時代初期の神仏分離と廃仏毀釈運動によって阿弥陀寺が廃寺となったのち、現在では、山口県下関市赤間町界隈および阿弥陀寺町の赤間神宮となっている[6]。
昔話として徳島県より採集された例(1985年)では「耳切り団一」で[10]、柳田國男が『一つ目小僧その他』(1934年)[11]等で言及している。
芳一のモデルは、南北朝時代の平曲(琵琶の伴奏による『平家物語』の語り物)の流派「一方流(いちかたりゅう)[12]」を確立した明石覚一検校(1299年頃 - 1371年)であるという説がある[要出典]。
物語
編集赤間関にある阿弥陀寺に芳一という琵琶法師が住んでいた。芳一は平家物語の弾き語りが得意で、特に壇ノ浦の段は「鬼神も涙を流す」と言われるほどの名手であった。
ある夜、住職の留守の時に、突然どこからともなく一人の武者が現われる。芳一はその武者に請われて「高貴なお方」の御殿に琵琶を弾きに行く。盲目の芳一にはよく分からなかったが、そこには多くの貴人(きじん)が集っているようであった。壇ノ浦合戦のくだりをと所望され、芳一が演奏を始めると、皆、熱心に聴き入り、芳一の芸の巧みさを誉めそやす。しかし、語りが佳境になるにつれて、皆、声を上げてすすり泣き、激しく感動している様子で、芳一は自分の演奏への反響の大きさに内心驚く。芳一は七日七晩の演奏を頼まれ、夜ごと出かけるようになるが、女中頭から「このことは他言しないように」と釘を刺された。
住職は、目の見えない芳一が無断で毎夜一人で出かけ、明け方に帰ってくることに気付いて不審に思い、寺男たちに後を着けさせた。すると、大雨の中、芳一は一人、誰もいない平家一門の墓地の中におり、平家が推戴していた安徳天皇の墓前で、恐ろしいほど無数の鬼火に囲まれて琵琶を弾き語っていた。驚愕した寺男たちは強引に芳一を連れ帰る。事実を聞かされ、住職に問い詰められた芳一は、とうとう事情を打ち明けた。芳一が貴人と思っていたのは、近ごろ頻繁に出没しているという平家一門の邪悪な怨霊であった。住職は、怨霊たちが邪魔をされたことで今や芳一の琵琶を聴くことだけでは満足せず、このままでは芳一が平家の怨霊に殺されてしまうと案じた。住職は自分がそばにいれば芳一を護ってやれるが、あいにく今夜は法事で芳一のそばに付いていてやることができない。寺男や小僧では怨霊に太刀打ちできないし、芳一を法事の席に連れていけば、怨霊をもその席に連れていってしまうかもしれず、檀家に迷惑をかけかねない。そこで住職は、怨霊の「お経が書かれている体の部分は透明に映って視認できない」という性質を知っていたので、怨霊が芳一を認識できないよう、寺の小僧とともに芳一の全身に般若心経を写経した。ただ、この時、耳(耳介)に写経し忘れたことに気が付かなかった。また、芳一に怨霊が何をしても絶対に無視して音を立てず動かないよう堅く言い含めた。
その夜、芳一が一人で座っていると、いつものように武者が芳一を迎えにきた。しかし、経文の書かれた芳一の体は怨霊である武者には見えない。呼ばれても芳一が返事をしないでいると、怨霊は当惑し、「返事がない。琵琶があるが、芳一はおらん。これはいかん。どこにいるのか見てやらねば…。」と、独り言を漏らす。怨霊は芳一の姿を探し回った挙句、写経し忘れた耳のみを暗闇の中に見つけ出した。「よかろう。返事をする口がないのだ。両耳のほか、琵琶師の体は何も残っておらん。ならば、できる限り上様の仰せられたとおりにした証として、この耳を持ち帰るほかあるまい。」と怨霊はつぶやき、怪力でもって芳一の頭から耳をもぎ取った。それでも芳一は身動き一つせず、声を出さなかった。怨霊はそのまま去っていった。 明け方になって帰ってきた住職は、両の耳をちぎられ、血だらけになって意識を無くした芳一の様子に驚き、昨夜の一部始終を聞いた後、芳一の全身に般若心経を書き写いた際に納所が経文を耳にだけ書き漏らしてしまったことに気付き、そのことを見落としてしまった自らの非を芳一に詫びた。
その後、芳一の前に平家の怨霊は二度と現れず、また、良い医師の手によって芳一の耳の傷もほどなくして癒えた。この不思議な出来事は世間に広まり、彼は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。やがて、芳一は、琵琶の腕前も評判になり、その後は何不自由なく暮らしたという。
物語の舞台
編集この物語は、芳一たち人間が住まう阿弥陀寺と、怨霊たちが「逗留している」と称する実体無き御殿、その実態である安徳天皇の墓所という、2つの場所(実際には幻でしかない御殿も数えるなら3つの場所)だけで、話の大部分が進行する。
阿弥陀寺
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真言宗の寺院。 なお、地元・下関では「阿弥陀寺」を「あみだいじ」と読むというが、これは、数え年8歳・満6歳4か月という若さでこの世を去った安徳天皇の墓所を「大事(だいじ)」に守っていこうとの含意あってのもの[13]らしい。
御殿
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「御殿(ごてん)」「館(やかた)」「屋敷(やしき)」「御旅館[14](ごりょかん)」など、様々な呼び方をしている。壇ノ浦合戦の跡地を見に来たという平家一門の怨霊たちが「逗留している」と称する豪奢な建物で、実体は無い。幽霊の招きに応じて取り込まれてしまった芳一には、感触や匂いまでも感じられて、現実の物と思えたが、端から信じていない寺男たちには、五感で感じ取れる物は何も無く、そこには安徳天皇の小さな墓所があるだけで、彼らの眼に映るのは、おびただしい数の鬼火が周りを飛び交っている怖ろしい光景でしかなかった。この墓所というのは、江戸時代初期に設けられた(整備された)と考えられる「七盛塚」のことであろうといわれている。
登場人物
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人間
編集- 芳一(ほういち)
- 主人公。琵琶の弾奏に特別な才能を見せる若き琵琶法師である。「少年」とされるが、正確には10代後半であり、芳一堂に祀られている木像も、大人になるにはまだ早い子供といった感じで造形されている。ただし、後世のリメイク作品などでは、青年あるいは大人のイメージで描写されるのが通例となっており、子役がキャスティングされた例は見当たらない。
- 盲(めし)いて生まれた芳一は、貧しい境遇に育ったが、幼くして師匠を凌ぐほどの才気に溢れた芸がその身を大いに助けた。赤間関の阿弥陀寺に身を寄せたのも、芸能の才が手繰り寄せた良運であった。阿弥陀寺での芳一は、芸能好きの住職に衣食住の足るを約束され、必ずやるべきことと言えば、住職の求めに応じて琵琶を奏してみせることのみであった。しかし、檀家に不幸があったので住職たちが出掛けてしまい、芳一がひとり切り寺に残って過ごすことになった蒸し暑い夏の夜のこと、怖ろしき怨霊どもの耳にも届いてしまった芳一の才が、今度は命に係わる禍事(まがごと)を引き寄せてしまう。盲いたか弱き少年の前に、居丈高な大男の気配が現れた。
- 耳なし芳一
- 事件が解決した後、しばらく経って呼ばれるようになった、芳一の通名。ただ、文献によって名称と表記はまちまちである。大きく「耳切れ」と「耳無し」に分かれており、後者は小泉八雲が「耳無芳一の話」で用いて以降の文献からしか見ていないと、近藤清兄は言っている[15]。
- 芳一ばかりでなく、「耳切れ○○」は類例が多い。仮名草子『曽呂利物語』(寛文3年〈1663年〉刊行)巻第4の9[16]の「耳切れうん市が事(みみきれうんいちがこと)」では、その名は「うん市」、事件後の「耳切れうん市」であり[17]、怪談集『宿直草(とのいぐさ)』(延宝5年〈1677年〉刊行)巻2第11の「小宰相の局、ゆうれいの事(こざいしょうのつぼね ゆうれいのこと)」では、その名は「団都(だんいち)」、事件後の「耳きれ団都」である[18]。「#類話」も参照のこと。
- 耳無芳一[4] / 耳無し芳一 / 耳なし芳一(みみなし ほういち)
- 住職(じゅうしょく)
- 納所(なっしょ)
- 寺男(てらおとこ)
- 小僧(こぞう)
- 寺の小坊主たち。芳一を捜す寺男たちと行動を共にするも、言葉を発する場面は無い。
怨霊
編集解説する際は「幽霊」「亡霊[20]」「怨霊」などと呼ばれる[注 1]が、オリジナルとそれに近い物語の中では「霊」とさえ呼ばれない。小泉八雲の「耳無芳一の話」でもそうで、「幽霊(幽霊火)」「霊」「怨霊」が物語の前段の昔語りで用いられているのみで、武者を始めとする芳一たちと関わる怪しき者たちを指して「霊」とは言っていない。
赤間関の御殿に逗留中の平家一門の怨霊たち。壇ノ浦合戦の跡地を見るために赤間関を訪れ、御殿に逗留していると言ってはいるが、その実は、赤間関にある幼帝・安徳天皇の墓所に寄り集まった霊魂たちであった。
- 武者(むしゃ)
- 「武者[4]」「武士[4]」「侍[4]」などと呼ばれる。
- 鎧を身に纏った侍の怨霊で、平家一門を統べる上様に仕える偉丈夫である。上様のことは「今の殿様[4]」「身共(みども)の主君[20]」「我が君[20]」などと呼ぶ。上様から芳一の送り迎えを仰せつかっている。リメイク作品での描かれ方には幅があり、兜ではなく侍烏帽子(さむらい えぼし)を被っているものを基本としながらも、中には大鎧姿で描かれるものもある。芳一はこの武者を殿居(とのい)の衛士(貴人に仕える夜警の侍)であろうと考えた。盲目の芳一は、この武者に送り迎えされるにあたり、時として手を引かれるのであるが、その際、鍛え上げられた鉄のような硬さと、冷え冷えとした感触を覚えている。
- 女中頭(じょちゅうがしら)[4]
- 平家一門に仕える女中たちの頭。女中たちも怨霊であり、武者と上様の間、そして、上様と芳一の間で、取り次ぎの役目を担っているのが女中頭である。芳一と言葉を交わすことになったただ一人の女中を、芳一は女中頭と考えた。姿は見えなくとも、芳一は彼女を老女と感じた。その老女は、自分たちが何者であるかについて、芳一に話せる範囲で解き明かしてくれる。しかし一方で、自分たちの御殿に参内していることを誰にも明かさぬよう、それが御上意であるからと、芳一に厳命してもいる。
- 女たち
- 止ん事無き平家一門の女たち。芳一の腕前に驚き、絶賛し、天才が爪弾く語り物の悲しい結末に咽び泣く。
- 上様(うえさま)
類話
編集上記の話が、一般的に「耳なし芳一」と言われるものであるが、これ以外にも幾つかの類話が存在しており、部分部分で話が違っていたり、結末が異なったりする。
寛文3年(1663年)に刊行された『曽呂利物語』の中では、舞台は信濃、善光寺内の尼寺となっているうえ、主人公は芳一ではなく「うん市」という座頭である。
芳一堂と七盛塚
編集芳一堂(ほういち どう)は、赤間神宮の境内にある祠である。1957年(昭和32年)5月[21]に建立された[22][23]。堂内には、山崎朝雲の門下生で山口県防府市出身の彫刻家である押田政夫(おしだ まさお)の手になる芳一像(木造芳一坐像)が(堂の建立時に)奉納されている[21][22][23]。
また、芳一堂の左手には平家一門を供養する七盛塚(しちもりづか、ななもりづか)があり[24]、毎年7月15日には芳一堂と七盛塚の前で「耳なし芳一琵琶供養祭」(通称:耳なし芳一まつり)が斎行されている[22]。
七盛塚は、関ヶ原合戦(慶長5年/1600年)の頃、関門海峡で頻発した海難事故を「平家の怨霊が騒ぎ出した」と世間が騒いだことを受けて、赤間関を擁する紅石山の山腹に中世の頃から散在していた7基の墓標を、江戸時代になって阿弥陀寺の境内に参集させたものである[22][24]。そのようなことから、平家一門を慰めるために芳一が招かれたという墓場が“実在するこの七盛塚”であったとすれば、その物語が整えられたのは江戸時代ということになる[22][24]。
派生作品
編集ここでは、多岐にわたる派生作品について記載する。1つ目は、オリジナルからいくらか改変されてはいても、制作するに当たっての作家性の発露に留まっているもので、これを「リメイク作品」とした。2つ目は、オリジナルが持つ特徴をモチーフとして利用しているもので、これは「モチーフにした作品」とした。パロディ作品もここに分類する。3つ目は、オリジナルにインスパイアされた作品、つまり、『耳なし芳一』から受け取ったインスピレーションを全く異なる創作に活かした作品であり、「インスパイア作品」とした。
リメイク作品
編集- 小泉八雲の「耳無芳一の話」については、個別のセクション「小泉八雲「耳無芳一の話」」にて詳説する。
- 1976年(昭和51年)7月10日放送回(放送回コード:0040-A)。
- 製作:愛企画センター、グループ・タック、毎日放送。放送時期:JNN(毎日放送、TBS系列)放送時代。視聴時間:約10分。
- 演出:杉田実、脚本:吉田義昭、美術・作画:馬郡美保子。声:市原悦子(ナレーション、芳一、館の女、寺男B)、常田富士男(武者、寺男A、和尚)。
- 古里紅子 (2011年9月27日). “No.0067 耳なし芳一”. まんが日本昔ばなし~データベース~(人文系データベース協議会公認[1]). 古里紅子. 2022年9月3日閲覧。
- 1984年(昭和59年)3月24日放送回。小泉八雲の「耳無芳一の話」が劇中劇として描かれた。脚本は山田太一、音楽は池辺晋一郎が担当。八雲の生涯を描いたドラマでは西田千太郎を、劇中劇「生と死の断章」では芳一を、小林薫(撮影時32歳)が演じた。cf.「日本の面影#ストーリー」
- “日本映画専門チャンネル(BS・CS放送ほか)『日本の面影』全4話”. 八雲会. 2022年9月6日閲覧。
-
- 2001年新装版:『怪談―マンガ日本の古典〈32〉』中央公論新社〈中公文庫〉、2001年11月23日 。ISBN 4-12-203934-7、ISBN 978-4-12-203934-6 。
- 2019年新装版(電子書籍版):『つのだじろうの怪談』ゴマブックス、2019年8月9日。
- 2002年(平成14年)10月22日放送回。岸谷五朗(撮影時37歳)が芳一を演じた。原典と異なり耳にも経が書かれるが、芳一を探す武者の声に慄いた芳一が耳をふさいだ時に文字がとれてしまい、結局耳をちぎられてしまう。また、原典には無い芳一が盲目になった理由が語られる。
- 紙芝居:『歴史体感☆紙芝居!』「耳なし芳一」
- テレビアニメ:テレビ東京系列『ふるさと再生 日本の昔ばなし』「耳なし芳一」
- 2013年8月13日放送回。第72回。30分番組3話構成の1話目。監督:鈴木卓夫。脚本:照沼まりえ、絵コンテ・演出・作画・美術:樋口雅一。声:柄本明、松金よね子。
- 2015年7月19日放送回。第171回。30分番組3話構成の3話目。監督:鈴木卓夫。脚本:平柳益実、絵コンテ・演出・作画・美術:原田浩。声:柄本明、松金よね子。
- 書籍化:“ふるさと再生 日本の昔ばなし 「耳なし芳一」< 絵本”. TSUTAYA. カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社. 2022年9月3日閲覧。
- 演劇:声劇和楽団「耳なし芳一」
- テレビ番組:Eテレ『コワイオハナシノクニ』第1話「耳なし芳一」
- 2018年(平成30年)8月13日放送回。原作:小泉八雲。語り:本郷奏多(撮影時27歳)、絵:劇団イヌカレー・泥犬。音楽:榎本百香、山口優(マニュアル・オブ・エラーズ)。
- “【コワイオハナシノクニ】耳なし芳一”. NHK for shool. NHK. 2022年9月3日閲覧。■YouTube動画掲載(10分00秒)。
- “NHK Eテレ『コワイオハナシノクニ』第1話「耳なし芳一」”. 八雲会. 2022年9月3日閲覧。
- 声優・茶風林が率いる「酒林堂」が演じる朗読劇で、角川武蔵野ミュージアムにて、2022年(令和4年)1月16日上演[33][34]。フランス・パリを拠点とするアーティスト集団「ダニーローズ・スタジオ (Daniel Rose Studio)」が手掛ける、浮世絵をモチーフにしたプロジェクションマッピングが生み出す360°大空間映像エンターテインメントとのコラボレーションを実現させた[33][34]。また、同イベントは、ライブ配信サービス「ニコニコ生放送」で独占生中継された[33][34]。
モチーフにした作品
編集- 特撮テレビドラマ:『仮面ライダー (スカイライダー)』第43話「怪談シリーズ 耳なし芳一 999の耳」[35][36]
- 1980年(昭和55年)7月25日放送回。
- 「人間どもの耳を1000組集めよ!」、耳なし芳一の霊が憑依しているアフリカゾウと鎧武者の怪人ミミンガーは、魔神提督(中ボス)からそのように命じられた[35][36]。魔神提督はそれを供物としてネオショッカー大首領(ラストボス)に捧げようと目論んでいたのである[35]。耳を999組まで集めたミミンガーは、記念すべき1000組目を憎きカタキの耳で飾ってやろうと筑波洋(スカイライダー)に接近する[35][36]。ミミンガーが呼び寄せた平家の怨霊たちと戦って悪寒を覚えた洋は、悪霊調伏で名高い僧を頼り、護符を授けられて瞑想を始める[35]も、アフリカの悪霊使いの術を駆使するミミンガーに攻略されてしまう[36]。かくなる上はと、かつての耳なし芳一に倣うことにした洋は、耳も書き忘れることなく全身を梵字で埋め尽くし、ミミンガーとの決戦に挑むのであった[36]。
- 漫画:丸尾末広『DDT―僕、耳なし芳一です』
- 1983年(昭和58年)の作。初版刊行は1994年[37]。
- 漫画:江口寿史『意味なし芳一』
- 1983年(昭和58年)の作。『江口寿史―自選傑作集〈日本漫画家大全〉』所収[38]。
- 2004年(平成16年)1月25日発売。監督:OZAWA(小沢仁志)。耳なし芳一役:塩谷智司。
- 2011年(平成23年)8月19日放送。この話の中で、ジャイアンが「耳なし芳一」の話のバッチを付ける。
- アルバム『怪談 そして死とエロス』(2016年〈平成28年〉2月3日リリース)の収録曲。耳なし芳一をテーマにしたヘヴィメタル曲で、般若心経はそのままの形で歌い込んでいる。
- “芳一受難 人間椅子”. Uta-Net. 株式会社ページワン. 2022年9月3日閲覧。■歌詞のほか、YouTubeの公式動画も視聴可能。
- 楽曲:Creepy Nuts「耳無し芳一Style」
- ミニアルバム『かつて天才だった俺たちへ』(2020年〈令和2年〉リリース)の収録曲。
インスパイア作品
編集- 映画:『魔界転生』
- 映画:『邪 ゴースト・オーメン』[40][41]
- 映画:『コナン・ザ・グレート』
- 1982年公開。ジョン・ミリアス監督作品。主役(コナン役)はアーノルド・シュワルツェネッガー。
- 瀕死の重傷を負ったコナンが全身に呪文を記されることで死神の脅威から護られて復活を果たすというシーンがある。監督は、「このシーンは日本の『耳なし芳一』という物語を題材にした」と自ら語っている。
- 映画:『プレデター』
- 1987年公開。ジョン・マクティアナン監督作品。主役(アラン・"ダッチ"・シェイファー少佐)はアーノルド・シュワルツェネッガー。
- 宮台真司は神保哲生とのYouTubeにおける対談の中で、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの環世界の概念を例示し、映画『プレデター』が「耳なし芳一」を模倣した作品であるとしている[43]。
小泉八雲「耳無芳一の話」
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小泉八雲の小説『怪談』に所収の「耳無芳一の話」[4]は、これが刊行された1904年(明治37年)以降では、後世にもたらした影響力において元の民話を超えてしまっている部分がある。多くのリメイク作品は、元の民話ではなく八雲の「耳無し芳一の話」からのリメイクである。そもそも「耳無し」という呼称からして八雲の創作で「耳切れ」がオリジナルではなかろうかというのが、近藤清兄の説である[15]。
朗読
編集- 【公式】窪田等の世界 (4 October 2020). 心地よい朗読 窪田等 『耳無芳一の話』作・小泉八雲 (動画共有サービス). YouTube. 該当時間: 34分12秒. 2022年9月1日閲覧。
語り
編集- 現代語り素の会 (12 May 2021). 「耳なし芳一のはなし」作:小泉八雲 語り:杉浦悦子(劇団青年座) (動画共有サービス). YouTube. 該当時間: 35分24秒. 2022年9月1日閲覧。
琵琶弾奏
編集- 映像工房・和と京 (21 March 2021). 80歳の琵琶奏者が奏でる薩摩琵琶「坂田美子版・耳なし芳一」 (動画共有サービス). YouTube. 該当時間: 21分49秒. 2022年9月2日閲覧。
特記事項
編集- 『耳なし芳一』にちなんだ命名
参考文献
編集- 事辞典
- 講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』. “耳なし芳一”. コトバンク. 2022年9月1日閲覧。
- 日立デジタル平凡社『世界大百科事典』第2版. “耳なし芳一”. コトバンク. 2022年9月1日閲覧。
- 小学館『デジタル大辞泉』. “耳無し芳一”. コトバンク. 2022年9月2日閲覧。
- 阪本是丸、小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』、ほか. “赤間神宮”. コトバンク. 2022年9月1日閲覧。
- 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』、ほか. “一方流”. コトバンク. 2022年9月1日閲覧。
- 書籍、ムック
- 江口寿史『江口寿史―自選傑作集』(新訂版)双葉社〈日本漫画家大全〉、1997年7月1日。ISBN 4-57528723-7、ISBN 978-4-57528723-3、OCLC 676339704 。
- 小泉八雲 著、山宮允 訳『耳なし芳一』小峰書店〈日本童話小説文庫 11〉、1950年。doi:10.11501/1169083。
- ※書籍名にもなっている「耳なし芳一」を第1話として、山宮允の現代語訳による小泉八雲の怪談が、34話所収されている。「耳なし芳一」が載っているのは3~19頁。
- 「巻第四目録」『曽呂利物語 卷第1-5』(PDF)心齋橋通安堂寺町(大坂) : 田中宋榮堂 。2024年1月24日閲覧。
- ※コマ数で言えば、2コマ目が目次(その中の【九】の所)、本編があるのは15コマ目から17コマ目まで。
- 成田守、目代清『盲僧の伝承九州地方の琵琶法師』三弥井書店、1985年12月1日 。ISBN 4-8382-9009-8、ISBN 978-4-8382-9009-3、OCLC 673689360 。
- ※書誌情報の一部に混乱あり。書籍名『盲僧の伝承九州地方の琵琶法師』の情報を参照のこと。
- 丸尾末広『DDT―僕、耳なし芳一です』青林堂、1994年12月1日。ISBN 4-7926-0122-3、ISBN 978-4-7926-0122-5、OCLC 673663527 。
- 丸尾末広『DDT―僕、耳なし芳一です』青林工藝舎、1999年1月25日。ISBN 4-88379-020-7、ISBN 978-4-88379-020-3、OCLC 674665611 。
- 柳田国男『一目小僧その他』小山書店、1934年。doi:10.11501/1444010。
- 柳田国男『一目小僧その他』KADOKAWA〈角川ソフィア文庫〉、2013年1月25日。ISBN 4-04-408308-8、ISBN 978-4-04-408308-3、OCLC 840092280 。
- 中村幸彦(編集)、小出昌洋(編集)、朝倉治彦(編集)、森銑三(著)『森銑三著作集 続編 第11巻』中央公論社〈森銑三著作集 続編〉、1994年6月 。ISBN 4-12-403084-3、ISBN 978-4-12-403084-6、OCLC 675633389 。
- 論文
- 近藤清兄「翻刻「琵琶秘曲泣幽霊」 : 富山大学蔵本『臥遊奇談』より、ハーン「耳なし芳一」原話」『聖霊女子短期大学 紀要』第48巻、聖霊女子短期大学、2020年、49-55頁、doi:10.24571/swjcb.48.0_49、ISSN 0286844X、NAID 130007948976。。
- 宮田尚「“芳一ばなし”から「耳なし芳一のはなし」へ」『梅光学院大学・女子短期大学部 論集』第39巻、梅光学院大学・女子短期大学部、2006年、13-22頁、ISSN 13483854、CRID 1050845762372442368。
- Isseki, Sanjin(一夕, 散人) (1782). 琵琶秘曲泣幽霊(Biwa no hikyoku yūrei wo nakashimu). 2. 京都: 菊屋安兵衛
- 荻田安静『宿直草』 富山大学収蔵、貴重図書、京都 : 西村九郎右衛門、1677年 。
- “臥遊竒談. 巻之1-5 / 一夕散人【撰】”. 古典籍総合データベース. 早稲田大学図書館. 2022年9月3日閲覧。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c kb-1.
- ^ a b kb-2.
- ^ kb泉.
- ^ a b c d e f g h i j k 青空文庫.
- ^ かみなり (2019年4月29日). “紅石山(下関市の低山巡り)”. YAMAP. 株式会社ヤマップ. 2022年9月1日閲覧。
- ^ a b kb 赤間神宮.
- ^ 森銑三著作集 続編 第11巻 1994 [要ページ番号]
- ^ 宮田 2006 [要ページ番号]
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- ^ 現代語り「素の会」 (@Sunekoika) - X(旧Twitter)
関連項目
編集外部リンク
編集- 『耳無芳一の話』:新字新仮名 - 青空文庫(小泉八雲著、戸川明三訳)
- KWAIDAN "THE STORY OF MIMI-NASHI-HOICHI"(Project Gutenberg)
- ichironagano (2011年6月28日). “もう一つの「耳なし芳一」”. 長野郷土史研究会小林一郎のブログ. 長野郷土史研究会. 2022年9月5日閲覧。