翠川鉄三
翠川 鉄三(みどりがわ てつぞう、安政7年1月8日[1](1860年1月30日) - 1916年(大正5年)3月26日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
編集信濃国小県郡和田村(現在の長和町)出身。1882年(明治15年)、代言人試験に合格し、松本で弁護士業務を始めた[3]。後に長野弁護士組合副会長、同会長を務めた[1]。
自由党に加入して自由民権運動に奔走し、1884年(明治17年)には飯田事件に連座し内乱陰謀罪の容疑で逮捕されたが、証拠不十分で釈放された。その後、信濃公党をおこして中央の自由党と結びつけ、党勢拡大に貢献した。
1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。合計で3期務めた。
その他に長野倉庫銀行取締役を務めた[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社、1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。