紀元前386年
年
紀元前386年(きげんぜん386ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀 |
---|---|
十年紀 |
前390年代 前380年代 前370年代 前360年代 前350年代 |
年 |
前389年 前388年 前387年 紀元前386年 前385年 前384年 前383年 |
当時は、「カミルス、コルネリウス、フィデナス、キンキナトゥス、プルウイルス、ポプリコラが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元368年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前386年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
編集できごと
編集ペルシア帝国
編集- 前年の「大王の和約」(the King's Peace)(「アンタルキダスの和約」(Peace of Antalcidas))によってスパルタからの攻撃を遠ざけたアケメネス朝ペルシア帝国は、キュプロスとエジプトの平定に力を振り向けた。しかし、キュプロスの王エウアゴラス (Evagoras) や、エジプトのギリシア人傭兵将軍カブリアスが発揮した手腕のために、再征服は思うように進まず、戦争は長期化した。
シチリア
編集- シュラクサイのディオニュシオス1世は、シュラクサイの影響力と交易をアドリア海にまで広げ、植民都市を、最も北ではエトルリアのハドリア(現在のアトリ)などに建設した。
中国
編集誕生
編集→「Category:紀元前386年生」も参照
死去
編集→「Category:紀元前386年没」も参照
脚注
編集注釈
出典