紀元前377年
年
紀元前377年(きげんぜん377ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀 |
---|---|
十年紀 |
前390年代 前380年代 前370年代 前360年代 前350年代 |
年 |
前380年 前379年 前378年 紀元前377年 前376年 前375年 前374年 |
当時は、「マメルキヌス、ポプリコラ、キクリヌス、ルフス(ないしは、プラエテクスタトゥス)、キンキナトゥス、キンキナトゥスが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元377年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前377年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
編集できごと
編集ペルシア帝国
編集ギリシア
編集- ティモテオス (Timotheus) が、アカルナニア人とモロシア人 (Molossians) のもとに送られ、アテナイとの友好関係を確保した。
- スパルタとテーバイの紛争に介入する準備に入ったアテナイは、財政と税制を再編し、裕福な市民が、さほど裕福でもない市民からの徴税に責任をもつ制度が導入された。
- 紀元前387年のアンタルキダスの和約に定められた条項により、ギリシア諸都市の独立は保証されていた。スパルタ王アゲシラオス2世はこの条項を盾にとり、テーバイを盟主とするボイオーティア同盟の解体を迫る根拠とした。2度に及ぶ攻城戦によって、テーバイは飢餓状態寸前まで追い込まれた。
中国
編集誕生
編集→「Category:紀元前377年生」も参照
死去
編集→「Category:紀元前377年没」も参照
脚注
編集注釈
出典