糸文弘
糸 文弘(いと ふみひろ、1931年5月9日 - )は、日本の映画監督、脚本家、劇作家、演出家である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。本名は糸 弘毅(いと ひろき)[1]。1950年代に松竹演劇部に所属して「石井均一座」等の軽演劇・喜劇の作家として活動し[1]、1965年(昭和40年)には映画製作会社LL企画プロダクションの設立に参加して、成人映画の脚本・監督を手がける[1][2]。その後、劇団三文館を設立、戯曲・演出を手がけてアングラ演劇に転向した[1][13]。
いと ふみひろ 糸 文弘 | |
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本名 | 糸 弘毅 (いと ひろき) |
生年月日 | 1931年5月9日(93歳) |
出生地 | 日本 鹿児島県大島郡名瀬町 |
職業 | 映画監督、脚本家、劇作家、演出家 |
ジャンル | 劇場用映画、テレビ映画、大衆演劇、アングラ演劇 |
活動期間 | 1957年 - 1980年代 |
所属劇団 | 劇団三文館 |
事務所 | LL企画プロダクション |
主な作品 | |
『豊原路子の体当りマンハント旅行』 『新妻のあやまち』 |
人物・来歴
編集1931年(昭和6年)5月9日、鹿児島県大島郡名瀬町(のちの同県名瀬市、現在の奄美市)に生まれる[1]。
第二次世界大戦後、5年制の旧制・神奈川県立商工実習学校に進学、同校は1948年(昭和23年)4月1日に新制高等学校に切り替わり、神奈川県立商工高等学校と改称している[1]。1949年(昭和24年)3月、同校を卒業、同年4月、早稲田大学理工学部に進学するも、翌1950年6月、同学を中途退学する[1]。松竹演劇部に入社し、1957年(昭和32年)5月から浅草公園六区等の新興劇団に上演台本を執筆した[1]。軽演劇の劇団「喜劇の王様」、早野凡平らが在籍した「コメディ東京」、石井均が弟子の伊東四朗、財津一郎らと1959年(昭和34年)に結成した「石井均一座」等がそのおもな劇団である[1]。なかでも「石井均一座」の根城は新宿であり、1958年(昭和33年)10月28日に開館した新宿松竹文化演芸場(現在跡地に新宿ピカデリー)を常打ち小屋としていた。1960年(昭和35年)からはテレビ映画の脚本を手がけたという[1]。当時の筆名が不明であり、テレビドラマデータベースでは具体的な該当作品が見当たらない[14]。「石井均一座」の女優、糸美智子[15][16]との関係は不明。
『日本映画監督全集』には、1961年(昭和36年)に映画製作会社のLL企画(LL企画プロダクション)の設立に参加、とあるが[1]、『日本映画発達史』の田中純一郎によれば、同社の設立は1965年(昭和40年)1月である[2]。『日本映画監督全集』には、同社で成人映画の脚本を執筆、監督を志して1964年(昭和39年)9月に『殺された女』で監督に昇進した旨の記述があるが[1]、日本映画データベース等の資料では同作の監督は南部泰三であり[17]、渡辺護によれば、同作の監督は南部泰三であり、正しいタイトルは『殺られた女』、渡辺が初めて成人映画の助監督を務めた作品であるという[18][19]。デジタル・ミームが所蔵する80分の16mmフィルム版上映用プリントのタイトルは『殺られた女』であり、監督は南部泰三とクレジットされている[12]。『日本映画監督全集』では、1965年1月公開の『色じかけ』を糸の作品一覧に挙げているが[1]、日本映画データベース等の資料では同作の監督は南部泰三である[9][11]。1964年 - 1965年の期間、南部の第八芸術映画プロダクション(1949年設立)で脚本を書いていたことは明らかで、1965年4月に公開された南部の監督作『女こまし SUKEKOMASI』の東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵プリントには、同作の脚本として糸の名がクレジットされている[8]。1965年4月公開の『色ざんげ』は、第八芸術映画プロダクションが製作した作品であり、いずれの資料も糸が監督であるとしている最初の作品である[1][5][9][10][11][12]。
田中純一郎は、『日本映画発達史』のなかで成人映画黎明期のおもな脚本家・監督として、若松孝二、高木丈夫(本木荘二郎の変名)、南部泰三、小林悟、新藤孝衛、小川欽也、小森白、山本晋也、湯浅浪男、宮口圭、深田金之助、藤田潤一、小倉泰美、浅野辰雄、渡辺護、片岡均(水野洽の変名)、福田晴一とともに、糸の名を挙げている[2]。糸は、1966年(昭和41年)2月に公開された『豊原路子の体当りマンハント旅行』で原作者の豊原路子を主演に起用したほか、一星ケミ(一星けみ)の公式なデビュー作『新妻のあやまち』(同年5月10日公開)を監督している[1][3][5][9][10][11][9][11]。
糸がLL企画で映画を監督したのは、同年6月7日に公開された『女が指を咬むとき』(主演内田高子)までであり、次に監督した作品は1967年(昭和42年)1月31日に公開された『現代の恐怖』で、同作は東通商映画部が製作[5][9]、関東ムービー配給社が配給した。1968年(昭和43年)2月16日には、糸が新たに結成した喜劇の劇団「劇団三文館」が、新宿にあった「実験小劇場モダンアート」(新宿区新宿2丁目12番7号、1967年 - 1987年)で『天使の味』を上演しており、同作の作・演出を糸が行った[13]。糸は同館の企画室代表を務め、同館では「アングラ・ヌード」を売り物にした[20]。以降、同劇団の活動に重点を置き、1969年(昭和44年)1月に公開された『歪んだ夜』を最後に映画界を去った[1][4][5][9][10][11]。1980年代以降の消息は不明である[1][7]。
フィルモグラフィ
編集特筆以外のクレジットはすべて「監督」である[1][3][4][5][8][9][10][11]。東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵状況についても記す[8][12]。
- 『殺された女』[1][11][9](『殺られた女』[12]) : 主演南里洋子、製作第八芸術映画プロダクション、配給映画日本新社、1964年9月公開[1](10月公開とも[11]、成人映画・映倫番号 13740) - 監督[1](南部泰三とも[11][9][12])、80分の16mmフィルム版上映用プリントをデジタルミームが所蔵[12]
- 『色じかけ』 : 主演芦原しのぶ、製作高千穂映画、1965年1月公開(成人映画・映倫番号 13845) - 監督[1][11](南部泰三とも[9][11])
- 『女こまし SUKEKOMASI』[8](『女こまし』) : 製作井上猛夫、企画黒木啓介、監督南部泰三、主演真杉美恵子、製作第八芸術映画プロダクション、配給センチュリー映画社、1965年4月公開(成人映画・映倫番号 13943) - 脚本、76分の上映用プリントをNFCが所蔵、80分の16mmフィルム版上映用プリントをデジタルミームが所蔵[12]
- 『色ざんげ』 : 製作高木悟郎、企画井上猛夫、主演高美マリ、製作第八芸術映画プロダクション、配給センチュリー映画社、1965年4月公開(成人映画・映倫番号 13944) - 監督[5]、60分の16mmフィルム版上映用プリントをデジタルミームが所蔵[12]
- 『愛撫』 : 製作井上猛夫、企画黒木啓介、主演高美マリ、製作LL企画プロダクション、配給センチュリー映画社、1965年6月公開(成人映画・映倫番号 14045) - 監督、80分の16mmフィルム版上映用プリントをデジタルミームが所蔵[12]
- 『快楽』[3](『手錠と快楽』[1]) : 企画井上猛夫、主演南たまき、製作LL企画、配給センチュリー映画社、1965年8月公開(9月公開とも、成人映画・映倫番号 14104) - 監督・深井俊彦と共同で脚本
- 『乳ぼくろ』 : 主演内田高子、製作LL企画、配給関東ムービー配給社、1965年9月7日公開(成人映画・映倫番号 14141) - 監督・財満四郎と共同で脚本
- 『愛欲の白い肌』 : 原作豊島一夫、主演岡本弘子、製作LL企画、配給関東ムービー配給社、1965年10月26日公開(成人映画・映倫番号 14199) - 監督・脚本
- 『妄ら花』[3](『妾ら花』[11]『淫ら花』[1]) : 企画いしど淳、主演岡本弘子、製作LL企画、1965年11月公開(成人映画・映倫番号 14258) - 監督・脚本
- 『裸身』 : 主演浜裕子、製作LL企画、1966年1月公開(成人映画・映倫番号 14322) - 監督・脚本
- 『豊原路子の体当りマンハント旅行』[3](『体当りマンハント旅行』) : 脚本豊原路子・いしど淳、主演豊原路子、製作オスカープロモーション、1966年2月公開(成人映画・映倫番号 14415)
- 『新妻のあやまち』 : 主演内田高子・一星けみ(一星ケミ)、製作LL企画(オスカープロモーション)、配給関東ムービー配給社、1966年5月10日公開(成人映画・映倫番号 14472) - 監督・脚本
- 『女が指を咬むとき』 : 主演内田高子、製作LL企画プロダクション、配給関東ムービー配給社、1966年6月7日公開(成人映画・映倫番号 14538) - 監督・脚本
- 『現代の恐怖』 : 製作東通商映画部、配給関東ムービー配給社、1967年1月31日公開(成人映画・映倫番号 14640)
- 『歪んだ夜』[4][5](『歪んだ性』[1]) : 製作東興企業、1969年1月公開(成人映画・映倫番号 不明)
テアトログラフィ
編集早稲田大学演劇博物館データベース等を参考にした糸の作あるいは演出した演劇の一覧[13][21]。
- 『天使の味』 : 劇団三文館、実験小劇場モダンアート、1968年2月16日 - 同29日 - 作・演出
- 『白樺学校』 : 劇団三文館、実験小劇場モダンアート、日程不詳 - 作・演出
- 『泥色の夜』 : 劇団三文館、実験小劇場モダンアート、日程不詳 - 作・演出
- 『セックス考現学』 原作大山人士、劇団三文館、実験小劇場モダンアート、日程不詳 - 脚色・演出
- 『骨餓身峠死人葛』 : 作野坂昭如、劇団三文館、俳優座劇場、1975年9月2日 - 同7日 - 演出
- 『六号室の女』 : 演出笹生昭、劇団三文館、1977年 - 作
- 『女房を殺そう』 : 劇団三文館、自由劇場、1979年 - 作・笹生昭と共同演出
ビブリオグラフィ
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z キネ旬[1976], p.41.
- ^ a b c d 田中[1976], p.85-86.
- ^ a b c d e f 年鑑[1967], p.325-333.
- ^ a b c d 年鑑[1970], p.351.
- ^ a b c d e f g h キネ旬[1973], p.13, 43, 120, 124.
- ^ 糸文弘、jlogos.com, エア、2014年8月26日閲覧。
- ^ a b c 国立国会図書館サーチ検索結果、国立国会図書館、2014年8月26日閲覧。
- ^ a b c d e 糸文弘、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年8月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 糸文弘、日本映画情報システム、文化庁、2014年8月26日閲覧。
- ^ a b c d e 糸文弘、KINENOTE, 2014年8月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 糸文弘、日本映画データベース、2014年8月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 糸文弘、デジタル・ミーム、2014年8月26日閲覧。
- ^ a b c d 劇団三文館、早稲田大学演劇博物館、2014年8月26日閲覧。
- ^ 全文検索、テレビドラマデータベース、2014年8月26日閲覧。
- ^ 大笹[2009], p.142.
- ^ 糸美智子 - テレビドラマデータベース、2014年8月26日閲覧。
- ^ 殺された女、日本映画データベース、2014年8月26日閲覧。
- ^ 渡辺護「おれが南部泰三の助監督をやったやつは、井川耕一郎、twitter, 2014年8月26日閲覧。
- ^ (井川)渡辺護さんは、助監督として南部泰三『殺られた女』(64)についたとき、井川耕一郎、twitter, 2014年8月26日閲覧。
- ^ 新宿アンダーグラウンドの残影 モダンアートのある60年代 6、ばるぼら、大洋図書、2007年3月21日付、2014年8月26日閲覧。
- ^ 大笹[2000], p.12-13.
参考文献
編集- 『映画年鑑 1967』、時事通信社、1967年発行
- 『これがアングラだ! サイケでハレンチな現代風俗のすべて』、グルッペ21世紀、双葉社、1968年7月1日発行
- 『映画年鑑 1970』、時事通信社、1970年発行
- 『日本映画作品全集』、『キネマ旬報』増刊第619号、キネマ旬報社、1973年11月20日発行
- 『日本映画発達史 V 映像時代の到来』、田中純一郎、中公文庫、中央公論社、1976年7月10日 ISBN 4122003520
- 『日本映画監督全集』、『キネマ旬報』増刊第698号、キネマ旬報社、1976年12月24日発行
- 『戦後日本戯曲初演年表 第2期 1961年-1970年』、大笹吉雄、日本劇団協議会、2000年3月発行
- 『新日本現代演劇史 2 安保騒動篇 1959‐1962』、大笹吉雄、中央公論新社、2009年6月 ISBN 4124001630
関連項目
編集外部リンク
編集画像外部リンク | |
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色ざんげ 1965年4月公開 (第八芸術映画プロダクション・センチュリー映画社) | |
愛撫 1965年6月公開 (LL企画プロダクション・センチュリー映画社) | |
乳ぼくろ 1965年9月7日公開 (LL企画プロダクション・関東ムービー配給社) | |
新妻のあやまち 1966年5月10日公開 (LL企画プロダクション・オスカープロモーション・関東ムービー配給社) |
- Fumihiro Ito - IMDb
- 糸文弘 - KINENOTE
- 糸文弘 - allcinema
- 糸文弘 - 日本映画データベース
- 糸文弘 - 東京国立近代美術館フィルムセンター
- 糸文弘 - 文化庁日本映画情報システム
- 糸文弘 - デジタル・ミーム
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