粟屋高塚古墳
粟屋高塚古墳(あわやたかつかこふん)は、広島県三次市粟屋町にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。
粟屋高塚古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
所在地 | 広島県三次市粟屋町粟屋峠高塚 |
位置 | 北緯34度47分37.30秒 東経132度48分46.92秒 / 北緯34.7936944度 東経132.8130333度座標: 北緯34度47分37.30秒 東経132度48分46.92秒 / 北緯34.7936944度 東経132.8130333度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径18m 高さ3m |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
史跡 | なし |
地図 |
概要
編集広島県北部、三次盆地西縁の高谷山(標高490メートル、霧の海展望台所在)から西に延びる尾根上(標高466メートル)に築造された古墳である[1]。発掘調査は実施されていない。
墳形は円形で、直径約18メートル・高さ約3メートルを測る[2]。墳丘の高所側には幅約3メートルの周溝が認められる[2]。埋葬施設は横穴式石室で、東方向に開口する。三次地域では代表的な大型石室で、玄室・羨道の間を門柱石で区切る九州型石室の特徴を示す。石室内の副葬品は詳らかでない。
埋葬施設
編集埋葬施設としては横穴式石室が構築されており、東方向に開口する。石室の規模は次の通り[1][2]。
- 玄室:長さ4.85メートル、幅1.95メートル、高さ2.4メートル
- 羨道:長さ4.5メートル
玄室の壁面はやや持ち送る。玄室内には平石2枚が遺存する(棺台または仕切石か)。羨道の幅は玄室よりもやや狭い。玄室と羨道の間は門柱石で区切り、床面にも敷居状に石を組む(羨道部に倒れる石で封鎖か)。門柱石をもつ石室形態は、出雲地方を経由した九州型石室の二次的波及と指摘される[1][2]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
脚注
編集- ^ a b c 探訪・広島の古墳 1991.
- ^ a b c d 三次市史II 2004.
参考文献
編集(記事執筆に使用した文献)
- 「粟屋高塚古墳」『探訪・広島の古墳』芸備友の会、1991年。ISBN 4490102607。
- 「粟屋高塚古墳」『三次市史』 II、三次市、2004年。
関連文献
編集(記事執筆に使用していない関連文献)
- 山崎信二『横穴式石室構造の地域別比較研究(中・四国編)』1985年。
- 「三次市三良坂町長宇根10号墳の測量調査」『広島大学大学院文学研究科考古学研究室紀要』第8号、広島大学大学院文学研究科考古学研究室、2016年9月30日、57-78頁。 - リンクは広島大学学術情報リポジトリ。
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、粟屋高塚古墳に関するカテゴリがあります。