米津 田盛(よねきつ ただもり/たもり/みちもり)は、江戸時代前期の旗本大名官位従五位下内蔵助出羽守

 
米津田盛
二代米津田盛の墓
時代 江戸時代前期
生誕 元和2年(1616年
死没 貞享元年1月25日1684年3月11日
戒名 米津寺心田玄秀大居士
墓所 東京都東久留米市幸町の米津寺
官位 従五位下内蔵助出羽守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱綱吉
氏族 米津氏
父母 米津田政
兄弟 田盛中野重弘室、横田政松室、
井出正成
永井尚政
政武田賢
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略歴

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元和2年(1616年)、5000石の旗本・米津田政の長男として誕生した。寛永2年(1625年)、父の死により家督を相続。承応3年(1654年)、従五位下・出羽守に叙任され小姓組番頭となる。万治元年(1658年書院番頭寛文3年(1663年大番頭を歴任。寛文6年(1666年)、大坂定番に任命され河内国内で1万石を加増されて1万5000石を領し大名に列した。

貞享元年(1684年)死去、享年69。跡を長男の政武が継いだ。

米津氏の菩提寺は武蔵国武蔵多摩郡前沢村[1]米津寺。禅宗臨済派、京都妙心寺の末寺。開基は二代米津田守[2]。墓所は米津寺内の米津家大名墓所(東京都指定史跡)[3]

系譜

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脚注

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  1. ^ 現在の東久留米市。
  2. ^ 東久留米市史編さん委員会(1979)p.465
  3. ^ 久留米の文化財第22号”. 東久留米市. 2020年3月15日閲覧。

出典

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  • 東久留米市史編さん委員会『東久留米市史』東久留米市(1979年)
先代
武蔵摂津河内国
1666年 - 1684年
次代
米津政武