笹森卯一郎
笹森 卯一郎(ささもり うちろう、1867年2月18日〈慶応3年1月14日〉 - 1911年〈明治44年〉6月12日)は日本の牧師、教育者である。
ささもり ういちろう 笹森 卯一郎 | |
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生誕 |
1867年2月18日 津軽藩弘前(現、青森県弘前市) |
死没 |
1911年6月12日(44歳没) 日本、長崎県長崎市 |
国籍 | 津軽藩→ 日本 |
出身校 | 東奥義塾、デポー大学 |
職業 | 牧師、教育者 |
親 | 笹森要蔵(津軽藩士) |
家族 |
浅田良逸(弟) 笹森順造(弟) |
生涯
編集幼少期・学生時代
編集津軽(弘前)藩士の家に生まれ、1885年(明治18年)に東奥義塾を卒業し、1885年8月に本多庸一より洗礼を受ける。同年9月からアメリカに渡り、デポー大学で学び哲学博士号を取得する。
牧師時代
編集1893年(明治26年)に帰国し、1894年(明治27年)より長崎市の出島メソジスト教会牧師に就任する。
教育者
編集そして、鎮西学館(のちの鎮西学院)の哲学講師を務めた。1904年(明治37年)鎮西学館の副館長になる。
鎮西学館館長
編集そして、1906年(明治39年)日本人初の鎮西学館の館長に就任する。同年6月に鎮西学院と改名する。1907年中学部を正規の中学校とし、高等部を置いた。
1910年(明治43年)鎮西学院が本館が火事により全焼する。3月13日校舎再建のために工事現場を見回る。その際に二階から落ちた梁で胸を強打する。この怪我が原因で、翌年1911年(明治44年)6月12日に死去する。