第39普通科連隊
第39普通科連隊(だいさんじゅうきゅうふつうかれんたい、JGSDF 39th Infantry Regiment)は、青森県弘前市の弘前駐屯地に駐屯する、第9師団隷下の普通科連隊である。
第39普通科連隊 | |
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支援射撃を実施する重迫中隊 | |
創設 | 1962年(昭和37年)8月15日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 普通科 |
所在地 | 青森県 弘前市 |
編成地 | 八戸 |
上級単位 | 第9師団 |
担当地域 | 津軽地方 |
戦歴 | FTC対抗戦における史上初の総合勝利 |
概要
編集1962年(昭和37年)8月に第5普通科連隊の一部を基幹として八戸駐屯地に新編され、1968年(昭和43年)3月に弘前駐屯地に移駐した。
連隊長は、1等陸佐(二)をもって充てられ、弘前駐屯地司令を兼ねる。連隊本部、本部管理中隊、4個普通科中隊および重迫撃砲中隊から編成される。
沿革
編集第39普通科連隊
- 1962年(昭和37年)8月15日:第9師団編成に伴い、第39普通科連隊が第5普通科連隊を母体に本部管理中隊及び4個普通科中隊、重迫撃砲中隊の編成で八戸駐屯地において新編。
- 1968年(昭和43年)3月25日:八戸駐屯地から弘前駐屯地に移駐。弘前駐屯地司令職務指定部隊となる。
- 1990年(平成 2年)3月26日:第9師団近代化への改編により、自動車化。
- 2010年(平成22年)
- 3月26日:部隊改編
- ゲリラ・コマンド対処型連隊へ改編(96式装輪装甲車、89式5.56mm小銃、01式軽対戦車誘導弾が配備)[1]
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第9後方支援連隊第2整備大隊第3普通科直接支援中隊へ移管。
- 8月29日:自衛隊ハイチPKO派遣の第3次隊として連隊長以下が出国(不在間の駐屯地司令職務は弘前駐屯地業務隊長が担任)。
- 2019年(令和元年)11月4日 - 9日:部隊訓練評価隊との対抗戦にて、史上初となる「総合的に評価した結果、対抗部隊を撃破」の評価を勝ち取り、事実上の勝利判定を獲得した[2]。
警備隊区
編集- 青森県西部
部隊編成
編集- 第39普通科連隊本部
- 本部管理中隊「39普-本」
- 第1普通科中隊「39普‐1」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第2普通科中隊「39普‐2」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第3普通科中隊「39普‐3」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第4普通科中隊「39普‐4」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 重迫撃砲中隊「39普‐重」:120mm迫撃砲 RT
整備支援部隊
編集主要幹部
編集官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第39普通科連隊長 兼 弘前駐屯地司令 |
1等陸佐 | 萱沼文洋 | 2023年 | 3月30日統合幕僚学校教育課第2教官室学校教官 兼 国際平和協力センター勤務 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 井上善高 | 1962年 | 8月15日 - 1964年 7月15日第5普通科連隊付 | 自衛隊徳島地方連絡部長 |
2 | 川上進 | 1964年 | 7月16日 - 1966年 7月15日陸上幕僚監部付 | 北部方面総監部第4部長 |
3 | 三谷博太郎 | 1966年 | 7月16日 - 1969年 7月15日陸上幕僚監部付 | 第6師団副師団長 兼 神町駐とん地司令 |
4 | 大辻隆三 | 1969年 | 7月16日 - 1971年 7月15日陸上幕僚監部付 | 防衛大学校訓練部訓練課長 |
5 | 平川宏 | 1971年 | 7月16日 - 1973年 7月15日第5師団司令部第3部長 | 陸上幕僚監部第5部訓練演習班長 |
6 | 小田安生 | 1973年 | 7月16日 - 1975年 7月15日第6戦車大隊長 兼 大和駐とん地司令 |
統合幕僚学校教育課教務班長 |
7 | 山田尚志 | 1975年 | 7月16日 - 1977年 7月31日陸上幕僚監部第2部見積班長 | 中央資料隊長 |
8 | 宮崎文嘉 | 1977年 | 8月 1日 - 1979年 3月15日陸上幕僚監部総務課付 | 東北方面総監部総務部長 |
9 | 折原啓 | 1979年 | 3月16日 - 1981年 3月15日陸上自衛隊富士学校普通科部 研究課長 |
西部方面総監部人事部長 |
10 | 雀ヶ野環 | 1981年 | 3月16日 - 1983年 3月15日陸上幕僚監部人事部人事計画課 予備自衛官班長 |
陸上幕僚監部装備部装備計画課長 |
11 | 松山省二 | 1983年 | 3月16日 - 1985年 8月 7日空挺教育隊長 | 習志野駐屯地業務隊長 |
12 | 米原光郎 | 1985年 | 8月 8日 - 1987年 7月 6日陸上幕僚監部人事部人事計画課 企画班長 |
陸上幕僚監部調査部調査第1課長 |
13 | 大越兼行 | 1987年 | 7月 7日 - 1988年 7月 6日陸上幕僚監部調査部付 | 北部方面総監部幕僚副長 (陸将補昇任) |
14 | 村崎浩 | 1988年 | 7月 7日 - 1991年 3月31日陸上幕僚監部調査部調査第1課 企画班長 |
陸上自衛隊幹部学校主任教官 |
15 | 先崎一 | 1991年 | 4月 1日 - 1992年 6月15日陸上幕僚監部教育訓練部訓練課 演習班長 |
陸上幕僚監部防衛部防衛課長 |
16 | 桐淵定訓 | 1992年 | 6月16日 - 1994年 7月31日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 教育班長 |
陸上自衛隊富士学校普通科部 教育課長 |
17 | 布村修 | 1994年 | 8月 1日 - 1997年 7月31日陸上幕僚監部人事部補任課 人事第2班長 |
陸上自衛隊幹部学校主任教官 |
18 | 永井博 | 1997年 | 8月 1日 - 1999年11月30日陸上幕僚監部監理部総務課監理班長 | 中央システム管理隊長 |
19 | 出口堅 | 1999年12月 | 1日 - 2002年 7月31日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 自衛隊栃木地方連絡部長 |
20 | 落合直巳 | 2002年 | 8月 1日 - 2004年 7月31日陸上自衛隊富士学校主任教官 | 陸上自衛隊幹部候補生学校学生隊長 |
21 | 加藤利幸 | 2004年 | 8月 1日 - 2005年12月 4日陸上幕僚監部付 | 東北方面総監部調査部長 |
22 | 長谷川光成 | 2005年12月 | 5日 - 2007年 7月31日陸上自衛隊研究本部研究員 | 陸上自衛隊富士学校普通科部 教育課長 |
23 | 本松敬史 | 2007年 | 8月 1日 - 2009年 3月23日陸上幕僚監部人事部補任課 人事第1班長 |
陸上幕僚監部人事部人事計画課長 |
24 | 吉田圭秀 | 2009年 | 3月24日 - 2010年 3月28日陸上幕僚監部防衛部防衛課 業務計画班長 |
陸上幕僚監部防衛部防衛課長 |
25 | 佐々木俊哉 | 2010年 [3][4] |
3月29日 - 2012年 3月29日陸上自衛隊研究本部研究員 | 中央即応集団司令部防衛部長 |
26 | 鳥海誠司 | 2012年 | 3月30日 - 2013年 8月21日陸上幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課企画班長 |
陸上幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課長 |
27 | 平澤達也 | 2013年 | 8月22日 - 2015年 8月 3日陸上幕僚監部運用支援・情報部 情報課地域情報班長 |
中部方面総監部情報部長 |
28 | 松村康紀 | 2015年 | 8月 4日 - 2017年 7月31日第11旅団司令部第3部長 | 中部方面指揮所訓練支援隊長 |
29 | 北島一 | 2017年 | 8月 1日 - 2018年 7月31日陸上幕僚監部人事教育部補任課 人事第1班長 |
統合幕僚監部運用部運用第2課長 |
30 | 木原邦洋 | 2018年 | 8月 1日 - 2021年 3月14日北部方面総監部防衛部防衛課長 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部 主任訓練評価官 |
31 | 天内明弘 | 2021年 | 3月15日 - 2023年 3月29日陸上幕僚監部人事教育部補任課 人事第1班長 |
陸上幕僚監部人事教育部 人事教育計画課長 |
32 | 萱沼文洋 | 2023年 | 3月30日 -統合幕僚学校教育課第2教官室学校教官 兼 国際平和協力センター勤務 |
主要装備
編集- 89式5.56mm小銃
- ミニミ軽機関銃
- M24対人狙撃銃 レミントン M24 SWS
- 01式軽対戦車誘導弾
- 81mm迫撃砲 L16
- 120mm迫撃砲 RT
過去の装備品
編集脚注
編集- ^ 朝雲新聞、2010年4月1日号。
- ^ “陸自39戦闘団快挙 第10次運営 FTC部隊敗れる(2019年11月4日~9日)”. (2019年12月6日). オリジナルの2019年12月8日時点におけるアーカイブ。 2019年12月8日閲覧。
- ^ 防衛省人事発令 2010年8月28日付 第3次ハイチ派遣国際救援隊長
- ^ 防衛省人事発令 2011年2月25日付 第39普通科連隊長
出典
編集“防衛省人事発令”. 2015年8月4日閲覧。