第36普通科連隊
第36普通科連隊(だいさんじゅうろくふつうかれんたい、JGSDF 36th Infantry Regiment)は、兵庫県伊丹市の伊丹駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第3師団隷下の普通科連隊である。警備隊区は兵庫県阪神地域および大阪府北部・中部の25市4町[1]。
第36普通科連隊 | |
---|---|
市街地戦用装備にて観閲行進を行う連隊長 | |
創設 | 1962年(昭和37年)1月18日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 普通科 |
所在地 | 兵庫県 伊丹市 |
編成地 | 伊丹 |
上級単位 | 第3師団 |
担当地域 | 兵庫県阪神地域、大阪府北部・中部 |
概要
編集1962年(昭和37年)1月に第7普通科連隊第2大隊及び第15普通科連隊等を基幹として、陸上自衛隊に36番目に編成された普通科連隊である。本部管理中隊、5個普通科中隊、重迫撃砲中隊により編成され、連隊長は、1等陸佐(二)が充てられている。
訓練は主に長尾山演習場と饗庭野演習場で実施している。
また、方面総監部が所在する駐屯地に駐屯する唯一の普通科連隊である。
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災では、最初期に救助活動を行った事で有名である。様々な不備により国・自治体レベルでの救助活動が遅れ、政府からの自衛隊への災害派遣要請がなされず、各駐屯地の自衛隊が待機せざるを得なかった中、近傍派遣を活用する事により、最初期(午前6時台)に出動することができた。
沿革
編集- 1962年(昭和37年)1月18日:第3管区隊の第3師団への改編に伴い、第7普通科連隊第2大隊及び第15普通科連隊等を基幹として第36普通科連隊が伊丹駐屯地で新編。
- 1992年(平成 4年)3月27日:師団近代化への改編により、自動車化。
- 1994年(平成 6年)3月28日:部隊改編。
- 第3対戦車隊の廃止に伴い、対戦車中隊を隷下に新編。
- 81mm迫撃砲 L16・120mm迫撃砲 RTが配備。
- 2005年(平成17年)4月~9月:第6次イラク復興支援群(群長:鈴木純治1等陸佐)
- 2006年(平成18年)3月26日:部隊改編。
- 対戦車中隊を廃止。
- 中部方面隊の後方支援体制変換に伴い、本部管理中隊管理整備小隊等を廃止し整備部門を第3後方支援連隊第2整備大隊第2普通科直接支援中隊へ移管。
部隊編成
編集- 第36普通科連隊本部
- 本部管理中隊「36普-本」
- 情報小隊:軽装甲機動車
- 第1普通科中隊「36普-1」:高機動車、81mm迫撃砲 L16
- 第2普通科中隊「36普-2」:高機動車、81mm迫撃砲 L16
- 第3普通科中隊「36普-3」:高機動車、81mm迫撃砲 L16
- 第4普通科中隊「36普-4」:高機動車、81mm迫撃砲 L16
- 第5普通科中隊「36普-5」- 軽装甲機動車化中隊:軽装甲機動車、81mm迫撃砲 L16
- 重迫撃砲中隊「36普-重」:120mm迫撃砲 RT
整備支援部隊
編集主要幹部
編集官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
---|---|---|---|---|
第36普通科連隊長 | 1等陸佐 | 早田知弘 | 2024年 | 8月 1日第14旅団司令部第3部長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|
1 | 池之上貞己 | 1962年 | 1月18日 - 1964年 3月15日第7普通科連隊付 | 第1空挺団副団長 |
2 | 佐々木時四郎 | 1964年 | 3月16日 - 1966年 3月15日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上自衛隊富士学校 普通科教育部副部長 兼 同校同部教務課長 |
3 | 近藤清 | 1966年 | 3月16日 - 1968年 3月15日陸上幕僚監部第1部総括班長 | 西部方面総監部幕僚副長 |
4 | 片山和彦 | 1968年 | 3月16日 - 1970年 3月15日陸上幕僚監部第1部業務班長 | 自衛隊京都地方連絡部長 |
5 | 永山貢 | 1970年 | 3月16日 - 1972年 3月15日第3師団司令部第3部長 | 中部方面総監部第1部長 |
6 | 増田篤 | 1972年 | 3月16日 - 1973年 7月15日西部方面総監部第3部勤務 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 |
7 | 笠井昭夫 | 1973年 | 7月16日 - 1975年 3月16日第3師団司令部第4部長 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
8 | 首藤愛明 | 1975年 | 3月17日 - 1977年 3月15日北富士駐とん地業務隊長 | 自衛隊佐賀地方連絡部長 |
9 | 高木重男 | 1977年 | 3月16日 - 1978年11月30日陸上幕僚監部第2部別室第3科長 | 陸上自衛隊富士学校普通科部 教育課長 |
10 | 宮本直躬 | 1978年12月 | 1日 - 1980年 7月31日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上幕僚監部教育訓練部訓練課 訓練班長 |
11 | 重松惠三 | 1980年 | 8月 1日 - 1983年 3月15日陸上幕僚監部監理部総務課 広報班長 |
陸上幕僚監部人事部補任課長 |
12 | 長尾哲吾 | 1983年 | 3月16日 - 1985年 3月15日第5師団司令部第3部長 | 陸上幕僚監部教育訓練部訓練課 評価班長 |
13 | 茅原郁生 | 1985年 | 3月16日 - 1987年 3月15日西部方面総監部調査部調査課長 | 陸上幕僚監部調査部 |
14 | 市橋史麿 | 1987年 | 3月16日 - 1988年 7月31日陸上幕僚監部監理部法務課長 | 中部方面総監部付 |
15 | 中野亮一 | 1988年 | 8月 1日 - 1990年 7月31日陸上自衛隊調査学校学校教官 | 第2混成団副団長 |
16 | 宮崎昭三 | 1990年 | 8月 1日 - 1992年11月30日陸上幕僚監部防衛部運用課 運用第2班長 |
西部方面総監部総務部長 |
17 | 黒川雄三 | 1992年12月 | 1日 - 1995年 3月22日東部方面調査隊長 | 自衛隊香川地方連絡部長 |
18 | 渡邉正樹 | 1995年 | 3月23日 - 1998年 3月31日統合幕僚学校学校教官 | 東千歳駐屯地業務隊長 |
19 | 遠藤直義 | 1998年 | 4月 1日 - 2000年 6月29日第12師団司令部第4部長 | 陸上自衛隊富士学校普通科部 教育課長 |
20 | 陣内透 | 2000年 | 6月30日 - 2002年 7月31日陸上自衛隊富士学校総務部 総務課長 |
陸上自衛隊小平学校情報教育部長 |
21 | 古河克樹 | 2002年 | 8月 1日 - 2004年 7月31日統合幕僚会議事務局第3幕僚室 企画官 兼 運用第2班長 |
東北方面総監部調査部長 |
22 | 鈴木純治 | 2004年 | 8月 1日 - 2006年 3月26日陸上幕僚監部装備部装備計画課 後方計画班長 |
陸上幕僚監部人事部補任課長 |
23 | 六畑方之 | 2006年 | 3月27日 - 2008年 7月31日北部方面総監部調査部調査課長 | 陸上自衛隊東北方面情報保全隊長 |
24 | 佐藤正典 | 2008年 | 8月 1日 - 2010年 7月31日陸上幕僚監部運用支援・情報部付 | 自衛隊三重地方協力本部長 |
25 | 足立寧達 | 2010年 [2] [3] |
8月 1日 - 2013年 3月31日第9師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校学生隊長 |
26 | 近藤力也 | 2013年 | 4月 1日 - 2015年 3月31日東北方面総監部防衛部防衛課長 | 東部方面指揮所訓練支援隊長 |
27 | 鹿子島洋 | 2015年 | 4月 1日 - 2017年 3月22日陸上幕僚監部人事部募集・援護課 募集班長 |
自衛隊三重地方協力本部長 |
28 | 早崎和寿 | 2017年 | 3月23日 - 2019年 3月22日第3陸曹教育隊長 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部勤務 |
29 | 伊藤博幸 | 2019年 | 3月23日 - 2021年 7月31日東北方面総監部防衛部訓練課長 | 陸上自衛隊補給統制本部総務部総務課長 |
30 | 三島健司 | 2021年 | 8月 1日 - 2023年12月21日陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部 情報課武官業務班長 |
防衛大学校教授 |
31 | 古賀理都靖 | 2023年12月22日 - 2024年 | 7月31日富士教導団本部高級幕僚 | 第3師団司令部付 |
32 | 早田知弘 | 2024年 | 8月 1日 -第14旅団司令部第3部長 |
主要装備
編集廃止(改編)部隊
編集警備隊区
編集大阪府中部・北部の18市3町を担任[1]。
脚注
編集- ^ a b c “任務”. 陸上自衛隊第36普通科連隊. 2017年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月23日閲覧。
- ^ 防衛省人事発令 2011年2月8日付 第4次ハイチ派遣国際救援隊長
- ^ 防衛省人事発令 2012年8月31日付 第36普通科連隊長
- ^ 陸上自衛隊姫路駐屯地 災害区域担任部隊
出典
編集- “防衛省人事発令”. 2015年4月1日閲覧。
外部リンク
編集- 第36普通科連隊
- 第36普通科連隊 (@jgsdf_3d_36i) - X(旧Twitter)