竹河内捷次
日本の航空自衛官、第25代航空幕僚長、第24代統合幕僚会議議長
竹河内 捷次(たけごうち しょうじ、1943年(昭和18年)3月10日 - )は、日本の航空自衛官。第25代航空幕僚長、第24代統合幕僚会議議長。勲等は瑞宝大綬章。
竹河内 捷次 | |
---|---|
生誕 |
1943年3月10日(81歳) 日本 広島県 |
所属組織 | 航空自衛隊 |
軍歴 | 1965 - 2003 |
最終階級 | 統合幕僚会議議長たる空将 |
勲章 |
瑞宝大綬章 |
除隊後 | 防衛省顧問他 |
略歴
編集広島県三次市出身。防衛大学校第9期卒業後、航空自衛隊に入隊し、戦闘機パイロットとなる[1]。若い頃はF-86やF-4EJなどで昼夜を問わず緊急発進し、旧ソ連軍機などに直接対峙(たいじ)して対領空侵犯措置任務を行った[1]。
その後、空幕防衛部防衛課長、第5航空団司令、北部航空方面隊司令官、航空支援集団司令官、航空総隊司令官等の要職を経て、1999年(平成11年)7月、第25代航空幕僚長に就任。2001年(平成13年)3月には制服組トップの第24代統合幕僚会議議長(現・統合幕僚長)に就任した。小泉政権下で将来を見据えた統合運用の在り方を検討し、翌2002年(平成14年)には「統合運用を基本」とする体制移行の必要性を示す報告書を提出し[1]、後の「統合幕僚監部」発足(2006年(平成18年))の礎を築いた[1]。 2003年(平成15年)1月28日に退官。
2014年(平成26年)春の叙勲で瑞宝大綬章(旧・勲一等瑞宝章)を受章した[1]。防衛省・自衛隊出身者への旧勲一等級の叙勲は、かつて旧内務官僚で保安庁第一幕僚長(現・陸上幕僚長)や初代統幕議長を務めた林敬三・元陸将以来、37年ぶりで、生え抜きの元自衛官への叙勲は初めてであった[1]。
年譜
編集- 広島県立三次高等学校卒業
- 1965年(昭和40年)3月:防衛大学校卒業(第9期 電気工学専攻)、航空自衛隊入隊(第39期幹候)
- 1984年(昭和59年)7月:1等空佐昇任
- 1986年(昭和61年)9月1日:航空幕僚監部防衛部防衛課防衛班長
- 1988年(昭和63年)3月16日:第5航空団飛行群司令
- 1989年(平成元年)6月30日:航空幕僚監部防衛部防衛課長
- 1990年(平成 2年)7月9日:空将補昇任
- 1991年(平成 3年)3月16日:第5航空団司令兼新田原基地司令
- 1992年(平成 4年)6月16日:航空総隊司令部防衛部長
- 1993年(平成 5年)7月1日:航空幕僚監部防衛部長
- 1995年(平成 7年)6月30日:空将昇任、北部航空方面隊司令官
- 1997年(平成 9年)3月26日:第8代 航空支援集団司令官
- 1998年(平成10年)7月1日:第33代 航空総隊司令官
- 1999年(平成11年)7月9日:第25代 航空幕僚長に就任
- 2001年(平成13年)3月27日:第24代 統合幕僚会議議長に就任
- 2003年(平成15年)1月28日:退官
- 2014年(平成26年)4月29日:瑞宝大綬章受章[2]
退官後の役職
- 政策会議「防衛省改革会議」構成員
- 株式会社日本航空インターナショナル常勤顧問
- 日米エアーフォース友好協会会長
- 安全保障と防衛力に関する懇談会専門委員
- 防衛省顧問(2014年4月まで)[3]
栄典
編集- レジオン・オブ・メリット・コマンダー - 2000年(平成12年)8月25日
- レジオン・オブ・メリット・コマンダー - 2002年(平成14年)11月14日
- 瑞宝大綬章 - 2014年(平成26年)4月29日
脚注
編集参考文献
編集- 防衛年鑑2002(防衛年鑑刊行会)
|
|
|
|
|
|
|
|
|