立川理道

日本のラグビー選手

立川 理道(たてかわ はるみち、1989年12月2日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンクボタスピアーズ船橋・東京ベイに所属するラグビーユニオン選手。

立川 理道
秩父宮ラグビー場
(2021年2月27日撮影)
生年月日 (1989-12-02) 1989年12月2日(35歳)
出身地 日本の旗 日本 奈良県天理市
身長 1.81 m (5 ft 11+12 in)
体重 94 kg (14 st 11 lb)
学校 天理高校
大学 天理大学
愛称 ハル
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション スタンドオフセンター
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
2005-2008
2008-2012
天理高校
天理大学
()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
2012- S東京ベイ ()
州代表
チーム 出場 (得点)
オタゴ ()
スーパーラグビー
チーム 出場 (得点)
2014
2016-2019
ブランビーズ
サンウルブズ
0
24
(0)
(8)
更新日:  2019年4月6日
代表
チーム 出場 (得点)
2012-  日本 56 (64)
更新日:  2022年6月18日

プロフィール

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来歴

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4人兄弟の末弟[1] で、三男の直道とともに、クボタスピアーズに所属。

4歳のとき、やまのべラグビー教室に入りラグビーを始めた。その後、天理中学校・高等学校と進む。天理高校時代に、第2回ラグビージュニア世界選手権に出場。その後、天理大学に入学。直道が主将を務め、自身が3年生のとき、同校は35年振りに関西大学ラグビーフットボールリーグを制覇。そして翌2011年度シーズンは、自身が主将となり、関西リーグ連覇を達成。

さらに第48回全国大学ラグビーフットボール選手権大会では、法政慶應関東学院と順番に下し、決勝では、同大会3連覇を目指す帝京と対戦。後半39分まで一進一退の攻防が続くという展開となり、最後は12-15で惜敗[2] したものの、この一戦で、理道の評価は一気に高まった。

その後、クボタスピアーズ(現・クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)に加入したが、加入早々、日本代表に選出された。2012年アジア5カ国対抗におけるカザフスタン戦が初のキャップ獲得試合となった。その後はほぼ、日本代表不動のセンター(スタンドオフとしても数試合出場)としてキャップ獲得を重ねている。2013年6月15日秩父宮ラグビー場で行われたウェールズ代表戦で、日本は対ウェールズ戦初勝利を飾ったが、その試合でもスタメンで登場した[3]

2014年スーパーラグビーブランビーズに加入[4] したが、公式戦出場は無かった[5]

2015年ラグビーワールドカップ2015の日本代表に選ばれる[6]。また同年12月にはスーパーラグビーの日本チームサンウルブズの2016年スコッドに入った[7]

2019年、オタゴに加入[8]

2021年垣永真之介とともにstand.fmにおいてハルのいろり話を開始した。

受賞歴

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  • 2016-17 ベストフィフティーン

関連項目

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参考文献

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  1. ^ ラグビー愛好日記 立川理道トークライブ . 村上晃一ラグビー愛好日記(2012年7月1日). 2018年1月24日閲覧。
  2. ^ 第48回全国大学選手権大会 決勝 . 日本ラグビーフットボール協会. 2018年1月24日閲覧。
  3. ^ リポビタンDチャレンジ2013 試合速報 . サンスポ(2013年6月15日). 2018年1月24日閲覧。
  4. ^ 日本代表BK立川理道 ブランビーズでの挑戦の日々を語る . ラグビー共和国(2014年5月27日). 2018年1月24日閲覧。
  5. ^ チームの飛躍を誓う、ジャパンの中核=立川理道(クボタ) . JSPORTS(2014年8月12日). 2018年1月24日閲覧。
  6. ^ 日本代表「ラグビーワールドカップ2015」最終登録メンバー . 日本ラグビーフットボール協会(2015年8月31日). 2018年1月24日閲覧。
  7. ^ サンウルブズで新たな歴史を 大野、堀江、山田、矢富、ピシらスコッド入り! . ラグビー共和国(2015年12月21日). 2018年1月24日閲覧。
  8. ^ NZ挑戦の立川理道がオタゴデビュー タスマン加入の内田啓介は今週末ベンチ入り . ラグビー共和国(2019年8月22日). 2019年9月23日閲覧。

外部リンク

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ハルのいろり話 - stand.fm